永遠

「……どう?」
「まじで一発目って感じ」
 粗削りとも呼べないレベルの、ただ、音を打ち込んだだけのもの。環くんの感想はもっともだ。
「……すっげえ散らかってる」
 机の上を見ながら環くんが言う。曲をつくるのに必要なのはパソコンやスマートフォンだけれど、考えがうまくまとまらない時のために、紙とペンを常備してある。
「それは、できたばかりだから」
「ペン先出たまんまじゃん。書いてたのこれ?」
「あっ」
 殴り書きもいいところだ。自分の字に癖があるのは自覚していて、普段はできるだけ丁寧に書こうと気を張っているけれど、作曲中になにかを書く時は、そんな余裕なんてない。
「あの……」
 環くんにこういう時の僕の字を見られるのは初めてではないとはいえ、内容が、だめなんだ。顔が、熱い。目の奥も熱い。今だけは環くんの顔を見たくない。見られないんじゃなくて、見たくない。
「そーちゃんの曲ってさ、祈りみたいだよな」
 一番最初につくった曲の時からそう思ってた。――環くんの言葉に、鼻の奥がつんとする。あぁ、僕は泣きそうなんだ。
「最初……」
「最初。初めてなのに、俺が一緒に戦いに行ってあげられなかった」
 あれこそ、粗削りの曲だ。自分のやりたいことを早くかたちにしたくて、かたちにできさえすれば、それまで変えられなくて苦しかったものも変わってくれる気がした。真っ暗な夜の世界を、灯りも持たずに走るみたいにつくった。
「でも、そのあと、一緒に戦ってくれた。独りじゃないって思えたから、あの曲を発表できたんだ」
 順調とは言えなかったけれど、自分がつくった曲をきちんと世に出すことで、出せたことで、僕の世界は確かに変わった。僕の思い込みでなければ、環くんの世界も。
「うん。それも、祈りみたい。そーちゃんが曲をつくるようになって結構経つけどさ、聴くたびに、どの曲も、祈りみたいだって思ってた」
「……初めて聞いた」
 十年越しに打ち明けられた言葉に、びっくりして顔を上げてしまった。だって、祈るようにつくっていたことを、環くんは知っていたんだから。
「初めて言ったもん」
 内緒にしていたのかな。僕の曲を聴いて、ここは泣いているみたいだって、本当にそれでいいのかって振り返らせてくれながら、僕の祈りがきちんと昇華されているのか、黙って見守ってくれていたのかな。
「そんな優しい気持ち、十年も隠してたの?」
「別に、優しくなくね?」
 優しいよ。優しかったよ、ずっと。
「ふふ、……あ」
 瞬きをした拍子に、涙が一粒、こぼれるみたいに出てしまった。
「あーあ。そーちゃんの泣き虫」
「泣き虫じゃないよ。あ、待って、だめ、止まんないかも」
「……ちょっと待ってな。タオル取ってくるから」

 ほどなくして戻ってきた環くんは、手の甲で涙を拭おうとした僕の手を取って、目元にタオルを優しく当ててくれた。そのまま拭ってくれそうだったけれど、さすがに涙くらい自分で拭いたくて、環くんの手を追い払う。
 涙を吸わせながら、こっそりとタオルの香りを確かめる。使いたい洗濯洗剤で意見が分かれて、じゃんけんで勝った環くんが決めたものだ。僕が一人暮らしの頃に愛用したものとは違う香り。こんなささいなことに、一緒に暮らし始めて数ヵ月経った今でも、幸せを感じている。
「……環くんがじゃんけんに勝ってよかった」
「は? なに、いきなり」
「なんでもない。……環くんこそ、なに、いきなり」
「いきなりじゃねえよ。本当は、今年のクリスマスにあげたくて、買ってた」
 ……ごめん、実は気付いていたんだ。クローゼットの奥にジュエリーブランドのショッパーが置いてあるのを見てしまったから。隠し場所が同じになっちゃうなと思って、僕は別のところにしたよ。
「クリスマスプレゼントにはちょっと早くない?」
 責めるつもりはないけれど、どうしてと訊きたくなる。環くんはあわてんぼうのサンタクロースなのか、それとも。
「今、あげたかったの。ぽろぽろ泣いて、きれいなのに鼻がまっかっかで不格好なそーちゃんにこそ、あげたいって思った。そーちゃんは、きれいで、かわいくて、仕事じゃ格好いいけどさ、俺はそうじゃない時も含めて、全部、ぜーんぶ好きだよ」
「知ってる……」
「愛されてる自信あんじゃん」
 自信、あるのかな。離れていた期間のことを思い出さないといったらうそになる。幸せだからこそ、さみしかったことが忘れられない。ううん、忘れちゃいけないとすら思っている。でも、瘡蓋で覆われた思い出ごと、うそをついて僕から離れたことを悔やむ環くんと、一緒に抱えていくって決めた。環くんがそうしようって、言ってくれたから。
「自信……今、またちょっとついたのかも。環くんが隠しごとへたになったから」
「そう? じゃあさ、そーちゃんも、あわてんぼうのサンタクロースになる?」
 隠しごとがへたになったのはお互いさま。――その言葉に、降参だなぁって言葉が、自然と出てしまった。だって、隠す場所なんて限られている。
「俺のは、外じゃ絶対にだめなやつだけど、そーちゃんは?」
「絶対にだめじゃないけど、お揃いだってわかるとよくないかなって感じ」
「ペアものなんだ。当てていい?」
 しまった、墓穴を掘ったみたい。
「だめ。あわてんぼうのサンタクロースもしないから。僕のと……、僕はクリスマスに贈るから。環くんのもペアなら、今、出してくれなきゃいやだよ」
「……いいよ、俺の負けで。はい」
 環くんが背後に隠していたリングケースを僕に押し付けてきた。
 机の上には紙が散らかって、ペン先が出たままのボールペンも転がっている。寒い季節だし、昨日の夜まで曲づくりに夢中だったから、空気の入れ替えもしていない。決してきれいとは言い難い部屋なのに、いいのかな。
「……永遠を誓うのがここでいいのかな。せめて掃除してきれいな場所で」
 今更、変な心配をし始めた僕の頭に、環くんが軽いチョップを食らわせてきた。
「ばか、いいんだよ。祈るみたいに曲をつくってるそーちゃんのこと、これからもずっと見ていきたいから、ここがいい」
「そっか……そうだね」
 クリスマスの五分前にプレゼントを渡したら、相変わらず五分前行動が好きなのかって言われちゃうかな。でも、それは五分前行動が好きなんじゃなくて、早く贈りたくてそわそわしているだけなんだけれど。


    《ひとこと感想》

     



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