思い出

 そーちゃんと相方に戻ってから三ヵ月。マンションに帰るたび、隣の部屋が気になって気になってしょうがない。これじゃあだめだって思って、バンちゃんに相談のうえで、みんなと同じマンションから、別のマンションに引っ越した。
 俺とそーちゃんが付き合っていたことは、たぶん、メンバーだって知らない。告白より先にキスをして、そこからなんとなくキスばっかりするようになって、気付いたら、そーちゃんが「僕たちは恋人なんだし」って言うようになっていたから、いつから恋人になったのかがわからない。恋人って言葉が出てきた時に事務所に報告したほうがよかったのかもしれないけれど、なにをどこまで話していいかがわからなくて、ずっと、タイミングを逃したままだった。
 結局は恋人じゃなくなったんだし、報告しなくてよかったと思う。だって、付き合いましたって報告したら、そのあとの別れましたってのも言わないとだろ。俺の身勝手でそーちゃんとの恋を終わらせたのに、今更事務所に報告なんてしたら、そーちゃんのことをもっと傷付けてしまう。もちろん、相方に戻ろうって話した時にそーちゃんのことをめちゃくちゃ傷付けたって自覚はある。でも、あのまま付き合っていたって、いずれ、優しくできなくなって傷付けていたに違いない。そーちゃんには、いつだって、幸せそうな顔をしていてほしい。
 ううん、本当のことを言うと、いつか傷付けてしまうかもってびくびくしながら付き合うのが、怖くなった。だって、俺は優しくないから。

「すっかり寒くなったね」
 鼻の頭を赤く染めて、もこもこの手袋をしたそーちゃんが息を吐き出す。白い靄が空気に溶けて消えた。ちょっと前まで小春日和って感じの日が続いていたのにな。先週、一晩中すごい雨が降ったあと、朝起きたら、空気が凛としていた。
 寒いのも、早起きも苦手だけれど、冬の朝にしかわからない凛とした空気は好き。澄んだ空気って言ったほうがわかりやすい? 他の言葉にたとえたら〝凛〟って感じのやつ。
「めっちゃ寒い。でも、あともうちょっとしたらクリスマスライブだなーって実感、湧いてきた」
 今年の冬はクリスマスイブとクリスマス当日に、ゼロ・アリーナでMEZZO”のライブをやることになった。バンちゃんに、数年前、Re:valeがライブで歌ったクリスマスソングみたいな演出がしたいって話したら、じゃあMEZZO”は雪のかたちをした紙吹雪を降らせようかってことになった。それに合わせて、ステージのイルミネーションをきらきらさせて、俺たちも今回のライブグッズを点灯させる。まっすぐなペンライトじゃなくて、結構細くて、先端しか光らない。イメージとしては、この季節、街中にあるようなLEDでできたイルミネーションを、客席とステージでやる感じ。リハーサルもまだだけれど、絶対、きれいだと思う。
「……もう、話してくれないと思った」
 そーちゃんの目が潤んだ気がして、慌てて視線を逸らす。
「なんで。普通に話すよ」
 それに、今は撮影の合間だし。俺たち、ケンカしたってMEZZO”をやっていくって決めただろ。
 そーちゃんがなにを思って言ったかはわかる。この前、雨がめっちゃすごかった日、帰り道の途中で傘が壊れた俺は、そーちゃんの部屋に行った。いつもはバンちゃんかマネージャーに送ってもらうのが、事務所でどうしてもこの日にやらないといけない業務があるとかで、俺たちだけで仕事現場に行ったんだ。コンビニで傘を買おうとした俺に、ずぶ濡れのままじゃだめだって言って聞かなくて、たぶんそういうことなんだろうなってわかっていたのに、そーちゃんの部屋に行った。案の定、押し倒されて、抱くことになった。
 別れた相手とそういうことするなんて、よくないと思う。でも、好きな人に迫られて全力で拒否できるほどの強さがなかった。なにより、断ったらそーちゃんがどこかに行っちゃいそうな気がしたんだ。臆病になって逃げたのは俺だから、その責任は取らなくちゃいけない。ぐちゃぐちゃ考えても触られたら反応したし、そーちゃんに触るのが気持ちよくて、心と体がばらばらになるかと思った。っていうか、なったと思う。
「そう、よかった」
「うん。でも、この前のは話さないで。俺らだけじゃねえんだからさ」
 撮影の合間とはいえ、そーちゃんがプライベートな話をにおわせるなんて。しかも、昨日なに食べたとか、最近聴いた曲の話みたいに、他の人に聞かれても問題なさそうな話じゃなくて、めちゃくちゃ危うい話。そーちゃんだって、MEZZO”もIDOLiSH7も守りたいって思っているはずなのに。だめだよ、そういうの。
「今は言わないよ。でも、今度」
「ごめん。今度も言わないで。……ほら、撮影始まるってさ」

 ◇

「あの時、あぁ、環くんは僕とのことを完全に思い出にするんだなって思ったよ」
 新曲が完成したお祝いを兼ねて、今日の夕食はちょっと奮発した。明日の仕事は夕方からだし、ちょっとだけならっていう条件でお酒もOKにしてある。そーちゃん曰く、今夜はアルコール度数の低いやつを一杯だけにするんだって。できあがった曲をあとで聴き返したいらしい。完成までは、なかなか、客観的に聴けないから。
 そーちゃんはロックグラスで飲むほうが好きだけれど、今夜はお祝いだから、カクテルグラスにした。
「思い出にしてないから、今、一緒にいるんじゃん」
「そうだね。でも、思い出にできたらって思ったんじゃない?」
「それは、まぁ。っつーか、なに」
「……今回の曲をつくる時に、思い出したから」
 今回の新曲はベタなクリスマスソングだ。雪が降ってデートに遅刻しそうとか、寒さで冷え切った手をポケットに入れてあっためてやるとか、そういうのが歌詞に出てくる。めっちゃいい雰囲気の二人が付き合うまでの歌。どう考えても、別れていた頃の俺たちを連想するような曲じゃない。
 俺が不思議がっているのに気付いたのか、そーちゃんが「あぁ」と続ける。
「あの時……MEZZO”のクリスマスライブ前、僕はどうして、あんなことをしてしまったんだろうって。余計につらくなるってわかってたのに、止められなかった。きみを誘わず帰らせていれば、街の浮かれた雰囲気に溶け込めたかもしれない。だって、あんなことをしたせいで、そのあと数年、クリスマスの時期がちょっといやになっちゃったんだ」
 俺が「今度も言わないで」って言ったせいか、もう一度付き合おうってなった時も、この話だけはしなかった。俺が臆病になったことも、そーちゃんがずっと悩んでいたことも話したけれど、あの夜のことだけは、口にできなかったんだ。
「それで、作曲の時に思い出したん?」
「うん。だから、今年で挽回したくて」
 一年前のクリスマスは、恋人にこそ戻っていたけれど、俺が仕事で頑張りたいことがあって、付き合ってはいてもそれらしい時間が全然つくれなかった。だから、今年の冬こそが、俺たちがもう一度付き合うようになってから最初の冬なんだ。
「来年からのハードル上がりそう」
 一応、プレゼントは用意してある。仕事のことを考えたら使えないものだってわかっていても、ケジメとして、これにしようって決めた。そーちゃんが仕事の時にこっそり買えたものの、一緒に暮らしているから、隠し場所を決めるのに手こずった。渡すまで、絶対の絶対に内緒にしたい。

 あの時、臆病になって一度は手放した恋を思い出にしなくて、できなくてよかった。


    《ひとこと感想》

     



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