そーちゃんには、二人きりの時にだけ見せる癖がある。それ自体はかわいいけれど、どうしてそういうことになったかを考えると、昔の俺のせいだよなってなるんだ。
「そーちゃん、力抜いて」
「……あ」
こわばった手を包んで、怖がらせないように手の甲を撫でる。別に怒っているわけじゃないから、そんなに怯えた顔しないで。こんなに力いっぱいやっちゃうと、こわばっているのが体中にまで広がるし、手のひらに爪の痕だって残る。なにひとつ、いいことない。
手を開かせたら、次は、指先まで力が抜けているかを確かめる。
「くすぐったい」
そーちゃんが気まずそうな顔で手を引っ込めようとしたから、慌てて捕まえた。まだ、見逃してあげない。
「ほら、そーちゃんが好きなの、これだろ」
指先を絡めて少しだけ力を入れると、そーちゃんの頬がぽっと赤くなった。薄紅色の花が咲いたみたい。
そーちゃんは、俺から手を触ってもらうためだけに、自分の手に変な力を入れる癖がある。基本的に積極的な人なんだから、手を触ってほしいなら触ってって言えばいいし、自分から手を繋いできたっていいって思うだろ? でも、そうしないのは、俺のせいだ。
「やっぱり、まだ、信用ない?」
「そういうわけじゃ、ない、けど」
「けど?」
「……自分でもわからなくて」
そーちゃんの体の力が抜けて、俺にもたれかかってきた。
出会って十年、最初に恋人になってからは七年。途中で少し離れて、もう一度恋人になってからは一年ちょっと。恋人に戻ってからすぐに一緒に暮らせたらよかったのかもしれないけれど、仕事で頑張りたいことがあって、時間がかかってしまった。すぐに一緒に暮らせないのはそーちゃんも納得のうえだったとはいえ、やっぱり、途中で離れたのがよくなかったんだと思う。
一瞬だけって言って手を離して、そーちゃんの体の向きを変える。しょんぼりしているせいか、それとも、俺がやろうとしていることがすぐにわかったからか、特に暴れることもなく背中を向けてくれた。風呂の中でもお気に入りらしい、俺を背もたれにしてもらう体勢だ。椅子の肘置きみたいに腕を伸ばしたら、そーちゃんが腕をのせてきた。
「はい、つかまえたー」
恋人繋ぎみたいにしたら、ちょっとびっくりしたみたい。そういえば、風呂の中でもやったことないやつだった。長く一緒にいても、まだ、やったことないくっつき方があったみたいだ。
そーちゃんといえば、白くてとにかく薄っぺらいイメージ。肌のお手入れを頑張っているおかげか、三十歳になったなんて思えないくらい、あちこちきれい。でも、ギターを触ることが増えたせいか、指先だけはかたくて、そーちゃんの他のパーツとちょっとだけちぐはぐな感じがする。これは、そーちゃんの手を間近で見たり、実際に触ったりできる人しか知らない。……こういう仕事だから「俺しか知らない」とは言えないのが悔しい。
「あの時のこと、実は今でも夢に見るんだ」
そーちゃんが言っているのは、俺が、相方に戻りたいって言った日のことだ。
◇
事務所が建物ごと借り上げたマンションで暮らしていたから、全然会えなかったわけじゃない。寮を出た途端コミュニケーション不足にならないよう、IDOLiSH7全員が出入りする部屋があったのと、MEZZO”の仕事もやっぱり多かったのとで、そーちゃんと一緒にいる時間は、寮にいた頃とほとんど変わらなかった。恋人になってからはすぐ隣に住むそーちゃんの部屋に頻繁にお邪魔したし、そーちゃんのほうから夜這いに来たこともある。あの時はめちゃくちゃ興奮したっけ。
それでも、仕事が忙しくなるにつれて、ライブ中の水分補給みたいな過ごし方が増えていった。珍しく別々の仕事が続いて、玄関に入るなりめちゃくちゃな抱き方をしてしまったあと、自分が怖くなった。そーちゃんのことを大切にできていないんじゃないか。欲が向いた時だけ相手に優しく触れる、あのクソ親父と似ているんじゃないか。そんなことまで考えるようになった。
そーちゃんを好きな気持ちには変わりなかったから「やめよう」なんて言うつもりはなかったけれど、何週間も恐怖心が拭えなくて、ある時、そーちゃんに、どうしてキスをしてくれないんだって問い詰められた。いつの間にか、キスとかエッチをさりげなく避けるようになっていたみたい。指摘されるまで、気付かなかった。こんなの、俺も、そーちゃんも、しんどくなる一方だ。
だから「相方のほうがしっくりくる」なんて言葉で誤魔化したんだ。
そーちゃんは真っ青な顔で俺の話を聞いていた。責めるわけでも、取り乱すわけでもなく、ぞっとするくらいきれいな顔で、恋心を抑え込むためにうそをつく俺を見ていた。初めて出会った時、優しそうなきれいな顔だと思ったし、好きになってからはかわいくてきれいだとどきどきしていたけれど、それ以上に、きれいだった。今までに見たそーちゃんの中で、二番目にきれいな顔。
そのあと、そーちゃんは「抱いて」って言った。恋心がなくなったってうそをつく俺に対して、ものすごく残酷なおねだり。でも、俺も残酷だから、そーちゃんを抱いた。残酷だっていう自覚があったから、二人とも泣きはしなかった。
夜が明けなければいいのにって言ったそーちゃんに、心の中で同意した。自分から離れるって言った手前、声には出せなかった。
◇
「……冗談だよって言えたらいいんだけど、ごめんね」
重くて、面倒で。――泣きそうな声に聞こえて、大急ぎで手を振り解いて、顔を覗き込んだ。泣いてはいなかったけれど、完全に落ち込んでいる顔だ。
他のやつが知ったら、恋人に戻らないほうがよかったんじゃないかとか、離れていた間のことを謝った俺を許してやらないそーちゃんはひどいとか、思うのかもしれない。俺が俺じゃなかったら、そう思うだろうなって気がする。でも、俺は俺だから、そういうところもひっくるめて、この人が好きっていう気持ちを優先することにした。
それに、ひどいのはそーちゃんだけじゃない。相方に戻ってからも、そーちゃんを好きな気持ちを完全に捨てることはできなくて、同じように気持ちのやり場に困ったそーちゃんの求めに応じたことがある。俺たちは、ひどい者同士なんだよ。
「ばかそーちゃん。重くて面倒なの、俺が高校生の頃から知ってたし。今更じゃん」
そーちゃんには今までもこれからも内緒だけれど、俺も、今でも時々、夢で見るよ。目を覚ましてすぐに、そーちゃんとのメッセージのやりとりを読み返しては、あぁ、恋人に戻れたんだっけって確かめている。
傷付けた罪悪感や、傷付いた経験を完全に癒せるとは思っていない。分厚い瘡蓋だけれど、それでもいいって、二人で話し合って決めた。だからといって、腫れ物に触れるような付き合い方をするわけじゃない。大喧嘩になっても、傷付けることだけを目的とした言動をしないための、いわゆる〝自戒〟だ。
それでも、瘡蓋を無理矢理剥がしたくて、もやもやしちゃうことがある。今のそーちゃんが、まさしくそれだ。俺も、そういう気持ちになる日があるから、よくわかるよ。
瘡蓋を剥がしちゃわないために、そーちゃんは手をこわばらせて、俺が触るのを待っている。甘い時間を目的としたものじゃないから、素直に言ってくれない。
もう一度恋人になってから一年ちょっと。新しい生活を始めたからって、なにもかもが安泰っていうわけでもない。だからこそ、また離れてしまわないように、俺たちは過去とも向き合いながら日々を過ごすって決めているんだ。