デート

 収録を終え、環くんの少し後ろをついて歩く。二人で帰るのは構わないけれど、まっすぐ自宅に向かうのか、どこか寄りたいところがあるのか、なにも聞かされていない。訊けば教えてくれるとは思うけれど、質問をすることで彼の計画を邪魔するのだけはいやだった。まっすぐ帰ると言われたら僕はきっと残念な顔をしてしまうし、寄り道をすると言われたら、それはそれで、どこに行くのかや食事はどうするのかなど、その場で答えを求めるだろう。もし、寄り道をする予定なのであれば、僕のこういう言動はムードを壊す一因になりかねない。
「ちょっと前にできたとこで飯食ってみたくて」
 ほら、環くんはこうやって、僕が気にしていることを気にして答えをくれる。出会ってすぐの頃は言葉たらずなままとりあえず結論だけ話す環くんと、順序立てて話すためにあれこれ考え過ぎてしまう僕とで、何度も衝突したっけ。
「なに系のお店?」
「普通のカフェ。でも、知る人ぞ知るーって感じで、余裕で入れんの。ももりんが言ってた」
 もしかして、僕がくだらない嫉妬をしないよう、先回りして情報源を明かしてくれたんだろうか。相方としてならもう十年の付き合いだし、恋人としても――途中、離れた期間はあったけれど――長い付き合いだ。僕がどこでどう不機嫌になるかを知り尽くされているみたいで、悔しいし、照れくさい。今、ここで口を開いたら、とんでもない墓穴を掘ってしまいそう。
「そーちゃん?」
「……前を見て。信号、赤だよ」
 環くんがこちらを見ていないのを確かめて、すぐ傍にある店のガラス窓に映った自分の顔色を確かめる。環くんの言葉の端々から伝わってくる愛情の深さが嬉しくてたまらないといった表情だ。変装用のマスクをしていてもわかるくらい、だらしない顔。こんなの、環くんにだって見せられない。

 大通りの赤信号はちょっと長くて、これくらいの気持ちを落ち着けるのにちょうどいい。もう一度、ガラス窓で自分の表情を確かめた。まぁ、これなら及第点かな。
「今から行く店、着いたらそーちゃんびっくりするかも」
「えっ? そうなの?」
「たぶん。いや、九十九.九九九パーセントびっくりする」
「ほぼ確実じゃないか」
 むしろ、残りの〇.〇〇一パーセントになんの要素があるんだ。
「行こ、青になった」
 外だから、手は繋げない。いくら十年経っても〝MEZZO”は超超超仲良し〟なんて言われているとはいえ、ファンが求めているのはそういうのじゃない。
〝MEZZO”もあるからIDOLiSH7のメンバーの中で特に仲のいい〟僕たちの振る舞いとして正しいのは、隣に並んで歩きながら雑談をする様子だ。横断歩道を渡り始めるついでに一歩大きく踏み出して、環くんの隣に並ぶ。
「お店はまだ少し先?」
「ううん、次のとこ曲がったらわりとすぐ。そーちゃんがびっくりするまで、あとちょっと」
 環くんの案内に沿って、細い路地へと続く角を左に曲がる。大通りからの距離はさほど離れていないのに、一気に静かな雰囲気が漂う住宅街になっていた。まるで、別世界への入口みたい。
「とーちゃく。ここでーす」
「えっ? これがお店?」
 普通の一軒家としか思えない外観で、環くん――というか、情報源の百さん――の〝知る人ぞ知る〟にも納得がいく。もしかしたら、近隣住民だってここがカフェとは知らないかもしれない。
「確かに、驚いたよ」
「早。まだこれからびっくりするのに」
 インターフォンを鳴らし、店主だか店員だかの応答を待つ。
『いいよ、上がっておいで』
「へっ? ……えっ?」
 なんだか、ものすごく、聞き慣れた声がしたような気がする。尊敬するあまり、幻聴を起こしているんだろうか。僕が、僕たちが尊敬してやまない――
「びっくりした? 九十九.九九九パーセントいった?」
「……びっくりっていうか、状況が、わからなくて」
 混乱度なら、九十九.九九九パーセントなんて優に超えている。
『環くん? どうしたの』
 ――千さんの声がする。
「あー、ごめん。そーちゃん、今、めっちゃパニクってんの」

 いくら静かな住宅街とはいえ、いつまでも外にいてはいけない。環くんに引きずられるようにして入ったお店には、千さんがいた。
「環くん、あの……夢かもしれないから、ちょっと僕の頬をつねってみてくれる?」
「ひどいな。相方に確認してもらわないと、僕の存在が信じられない?」
「いえ! 滅相もありません!」
 幻聴でも、幻覚でもないらしい。
 あれよあれよという間に椅子に座らされ、千さんからメニューが書かれた紙を渡された。
「ここ、完全予約制だからね。きみたちが好みそうなものをリストアップしておいたよ」
 食材が共通していて、調理方法や味付けなどが異なるものが書かれている。なるほど、どれも環くんか僕のどちらかが選びそうなものだ。
「仕事帰りのデートって憧れじゃん? でも、飯食いに行くのも店の人とか周りのお客さんに気ぃ遣うし。そしたら、ももりんが、ちょっと前にゆきりんがこういうのつくったんだよーって教えてくれた」
「営業許可も取ってあるから安心してね。本業が一番だし、そう簡単に〝オープンしました〟とは言えない。だったら、店主の本業に合わせた不定期営業の、完全紹介制かつ完全予約制でいいじゃないって」
 モモが言ってくれたんだ。――千さんはそう言って顔をほころばせた。
「はぁ……」
 千さんが経営する飲食店があるなんてことが広まれば、あっという間にファンが押し寄せるに決まっている。プロデュースに徹して店舗そのものは誰かに任せる芸能人も多いけれど、千さんはそれを好まなかったのだろう。訊かなくても、この人の音楽に対する姿勢を知っていれば、それくらいのことはわかる。
「俺、これがいい! あ、ちょっとだけスパイス多めに入れて」
「いいの? からいのは壮五くん専門じゃない?」
「いいのー。俺もちょっとは食えるようになったし、そーちゃんも、昔に比べたら甘いもん食うようになったから。疲れた時は糖分がほしくてーって」
 環くんの言うとおり、二人で暮らし始めた部屋の冷蔵庫には、二人分の王様プリンが常備されている。環くんが通常の味で、僕がコーヒー風味。たまに、相手が食べているほうの味が恋しくなって「ひと口ちょうだい」なんてこともする。
 千さんが調理場に向かうのを二人で見送ると、環くんが小声で話しかけてきた。
「な、びっくりしたの、九十九.九九九パーセントだった?」
「……千パーセントだよ」
「わ、うまいこと言うじゃん」
「いや、ギャグのつもりはないから。この話、広げないでね」


    《ひとこと感想》

     



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