独占欲

「そういえば、あとあと考えてみて違和感に気付いたんだけど」
 必死に新居の片付けを終えて、そこからはスケジュールがびっしりだった。どれくらい仕事が忙しかったかというと一緒に暮らしているのにご飯の時間が合わないレベル。これが付き合いたてほやほやなら相手の帰宅を待って、なんとしてでも恋人っぽい雰囲気を求めていたと思う。でも、俺たちは、そういう時期をとっくに過ぎた。
 そんなわけで、そーちゃんとこんなにゆっくり過ごせるのは――一緒に暮らし始めたのに――一週間とちょっとぶりだから、あとあと考えてみたの中身なんて、まったく予想がつかなかった。
「いつ基準のあとあと?」
 二人でもゆったり浸かれるバスタブでよかった。普段は真っ白なそーちゃんの肌が、かわいくてきれいな桃色に染まっている。久しぶりに二人でゆっくりできるからってそーちゃんはシャワーでさっさと済ませたがったけれど、いっぱい頭を使って動き回った疲れを取るには、お湯に浸かったほうがいいに決まっている。俺も一緒に入ってやるからって言ったら「ぐぬぬ」みたいな顔をしたあとに頷いてくれた。っていうか、漫画以外でもそんな顔するやつ、いるんだな。ウケる。
「引っ越してきた日。……いつから恋をしてたんだろうって、話したこと」
「あー……うん」
 やばい。あの時、そーちゃんの話をどきどきしながら聞いていて、だんだん、自分の気持ちの重さにいたたまれなくなっていたんだ。でも、そんなことを絶対に悟られたくなくて、夜中になっていたのを言い訳に、自分のことは話さずにそーちゃんを寝かしつけた。
「環くんがどうだったか、教えてもらえなかった。僕だけが打ち明けたの、不公平じゃない?」
「考え過ぎだろ。ほら、肩まで浸かれって」
 ぱしゃん。――ちょっと強引にそーちゃんの肩を押す。それがそーちゃんのスイッチを入れてしまったみたいで、反抗するみたいに暴れられた。
「ばかっ、風呂ん中で暴れん、……っ」
「んっ、ん……っ、は、ぁ……ね、教えて」
 素っ裸でエロいキスしてくるなんて卑怯だし、自分の魅力をよーく知っているって顔までされて、めっちゃ悔しい。
「そーちゃんさぁ……、あー、もう……むかつく……」
 十年前から〝惚れたほうが負け〟のままなんだから、俺はそーちゃんに敵いっこないんだ。

 そーちゃんは、自分たちがごく自然に付き合うようになったと思っている。そうするのがあたりまえみたいなキスをして、何回目かのキスのあと、なにかの雑談の中で、そーちゃんから「僕たちは恋人なんだし」って言葉が出て、俺が「そうだな」って返した。ドラマチックな告白はなかったけれど、これはこれで――平成の終わりくらいに流行した言葉を使うなら――〝エモい〟始まり……っていうのが、そーちゃんの認識。MEZZO”がまだまだ不安定だった頃に「他の誰でもない僕が守りたいと思った」なんて気持ちを抱かれていたのを知って浮かれたけれど、俺のは〝エモい〟始まりなんかじゃないから、絶対に墓場まで持っていこうと決めていた。
「……笑わねえ?」
「笑うもんか。きみのこと、相方でしかなかった頃から十年も経つのに、一番知りたいことこそ知れてないなんていやだよ」
「自分がいつから好かれてるか知りたいってことだろ。自意識過剰じゃん」
 あぁ、やだやだ。これだから、好かれている自信たっぷりになったそーちゃんは憎たらしいくらいにかわいくて腹が立つ。むかつくからこれからも自信満々でいろ。
 でも、七年前に恋人になってからずっと自信満々でいさせてあげられたわけじゃない。俺のほうが――好かれている自信じゃなくて、そーちゃんを大事にできているっていう――自信をなくしてしまって、そーちゃんのことを困らせた期間があった。ずっと好きだったから、自分の恋心しか見えていない気がしてきて、怖くなったんだ。
「……そーちゃん、俺ね、そーちゃんが初恋」
 顔を見て打ち明けるほどの勇気はなくて、ちゃんと、そーちゃんの体の向きを元に戻してから話し始める。俺がそーちゃんをうしろから抱っこするのが、二人でのんびり風呂に入る時の、お決まりのスタイル。
「たぶん……そうかな? とは思ってた。ううん、そうだったらいいなって思ってた」
「安心して。本当の本当に、好きって気持ちも、そーちゃんが初めてだから」
 初めてキスをした時に、お互いこれが初めてだったのにっていう話はした。すごくどきどきしているのを必死で隠しながら「初めてのチューが相方なの、やだった?」って訊いたら「全然いやじゃない」って言われて、鼻血が出そうだった。雰囲気でそういうことをしておいて慌てるなんて絶対に格好悪いから、口と口がぶつかったみたいなものだとか、ドラマでのそういうシーンが初めてよりはずっといいじゃんとか、いざやってみるとあっけないんだなとか、いっぱい話した記憶がある。
「うん、信じてる。大丈夫だよ」
「それで……えっと、本当は、ずっと、好き、で……。高校生だった頃から、そーちゃんが俺のこと見てるって言ってくれた時にはもう好きで。あ、好きっていうのは、相方だからとか仲間だからとかってのもあったけど、もっと俺にだけ見せてくれる顔が増えたらいいのになとか、そーちゃんのかわいいところ見つけたら、あー、これは他のやつには内緒にしなきゃ、みたいなの思うようになってたって意味の……あれ、なんかこれ、好きってより、ひとりじめしたい話になってんな」
 頭がいいやつになりたかったな。自分の気持ちを伝えたいのに、この人にだけは絶対にうまく伝えたいって時に限って言葉がめちゃくちゃになる。
「環くんは、僕をひとりじめしたいの?」
 ぴちゃん。――そーちゃんの髪から落ちたしずくが、水面を叩いた。あぁ、こっちを振り向いた拍子に髪が揺れて、しずくが垂れちゃったんだ。
「俺、たぶん、今めっちゃ情けない顔してるから、見ないほうがいいと思う」
「環くんはいつだって格好いいよ。格好よかったよ、ずっと」
 十代の頃、そーちゃんは俺のことをなにかと「かわいい」って言っていた。ダンスを披露した時は「格好いい」って言ってくれたけれど、それ以外は「かわいい」ばっかり。もっと、誰よりも格好いいって思われたくて、そーちゃんが言う「格好いい」の言葉をひとりじめできるくらいいい男になりたくて、必死だった。
「俺、告白すっ飛ばした」
 二十歳になって少し経った頃、もしかしたら脈ありかもって思えるようになってきたものの、どうやって告白しようか悩んでいるうちに、雰囲気で、告白より先にキスをしてしまった。この時の自分は何回思い出しても格好悪い。
「後悔してる?」
「結果的にはそーちゃんと恋人になれたけど、格好よく決めたかった。……ってのを、七年引きずってる」
「あはは。環くんはかわいいね」
「かわいくねえし」
 久しぶりに言われた「かわいい」の言葉に、どうしたってむくれてしまう。だって、俺、もう二十七だぞ。
 そんな俺の気持ちも知らないで、そーちゃんは水面が揺れるくらい笑っている。笑い過ぎ。あとでほっぺたつねってやろう。
「キスする雰囲気に負けて告白をすっ飛ばしてしまったくらい、僕に夢中ってことだろう? めっちゃかわいいよ。……それから、嬉しい」
「……キスで誤魔化すなよな」
 初めてキスをした時みたいなかわいいキスをされた。体が冷えるから肩まで浸かれって言ったのに。
「誤魔化してないよ。キスしたくなるくらい格好よくてかわいいきみを、ひとりじめしたくなったんだ」
 このあと、どうする? ――このあとの予定は風呂に入る前から決まっているのに、わかりきった質問をしてくるそーちゃんは、腹が立つくらいに、きれいでかわいい。


    《ひとこと感想》

     



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