逃避行

「寝よっか」
「ううん、もう少しぼんやりしてたいな」
「もうへろへろのくせに」
 ただでさえ引っ越し初日でへとへとの体だったのに、もう焦らさないでと懇願するまで全身をくまなく愛撫されたんだ。一ミリだって動けないよ。
「へろへろなのは誰のせいだと思ってるの」
「んー、俺?」
 引っ越しで疲れたんだろとは言わない。遠回しに、俺のせいにしていいよと言われているのがわかって、どんどん甘えたくなる。
「ご名答。責任取って、僕が寝落ちるまで相手してね」
「いいよ。どうやって責任取る?」
「そうだな……おしゃべりをしよう。昔話がしたい」
 僕たちは、いつ、どこで、恋を知ったんだろう。

 MEZZO”としてデビューした頃は二人だけでの電車移動も多かったから、寮までの帰り道はコミュニケーションを深める絶好の機会だと思っていた。
「そういや、やたら話しかけてきてたもんな」
「きみの反応が機嫌のよしあしで全然違ったの、覚えてる?」
 機嫌がよければたくさん話してくれる。でも、その話を掘り下げられるほどの関係ではなかったから、ただ、聞いているだけだった。
「そーちゃんが、話さなきゃって使命感で話してたからじゃん」
「うん。それは認める。今は、こんなに自由に話せるのにね」
 嬉しいこと、楽しいこと、いらいらしたこと、ちょっとした愚痴……話すだけでいい、聞いてもらえるだけでいい、思っていたリアクションが得られなくても自分を責めなくていいし、相手にリアクションを強要する必要もない。言葉にならない時は、視線や表情でもいい。
「……ん? 好きになったから、うまく話せるようになったってこと?」
「それはちょっと飛躍……というか、自分は恋されてるっていう自意識が過剰じゃない?」
「でもー、そーちゃんが格好悪いところも見せてくれるようになったの、あぁ、この人って俺のこと好きなんだなってわかってからだったし」
 僕たちは日々の暮らしの中で互いに向ける感情の色に気付いて、あたりまえのように恋人関係へと進んだ。誰かに知られたらとか、アイドルなのに恋をしていいのかなんて葛藤はなかった。ごく自然に、明日の天気を訊くみたいに恋人になったぶん、ドラマチックな告白もなかった。
「いつから好きになったのって、訊いてみたくなって」
「それは俺も知りたいかも。……でもさぁ、わかる? この瞬間っての、あった?」
「思い返してみれば、あれは恋心の種みたいなものだったのかなっていうのはあるかも」
 そもそも、恋をしたのだって初めてだから、その瞬間に〝これが恋だ〟と断定するのは難しかったんじゃないかな。
「恋心の種……恋かけ?」
「……歌になぞらえてたら自分の感情を辿れなくならない?」
 僕がMEZZO”の曲をつくるようになってからはその割合が少しだけ減ったけれど、できれば、恋の歌を参考書にはしたくない。だから、わざと別の言葉にしたのに。
「でも、とっかかりにはいいじゃん。まるまる参考にしたり、なんでもかんでもあてはめたりってのは俺もやだけどさ」
 肩冷えるぞ。――環くんに布団をかけられ、話しているうちに上体を起こそうとしていた自分に気付く。あまりにも優しく抱かれて、一ミリだって動けないはずだったのに。
「とっかかり……それでいくと、かなり最初の頃から恋の予兆があったことになってしまうんだけど」
 あぁ、どうしよう。自分で蒔いた種とはいえ、こんな話題を持ち出すんじゃなかった。
「は? なにそれ。めっちゃ聞きたい」
「……きみは思い出したくもないだろうけど」
「うん、いいよ。大丈夫」
「あの再会番組で、きみのお父さんを見た時かな」
 十年前でも、あれは鮮明に思い出せる。テレビ局側の悪意に触れた日だ。
「なにがあっても、環くんを守らなきゃと思った。他の誰でもない、僕が守りたいって思ったんだ」
 当時の環くんが未成年で、僕が大人だったからだけじゃない。MEZZO”の相方だからというだけでもない。
「子どもの頃に、大事な人と、離れた者同士だったから?」
「それが一番大きいとは思う。でも、さみしさの埋め合いをしたいと思ったことは一度もないよ。他の人たち以上にわかり合えるだろうなとは思ってたけど」
 共通点は恋のきっかけになり得る。そして、それがネガティブイメージに近ければ近いほど、深みに嵌まりやすい。
「あの頃のあんた、よく真っ青な顔してた。ほとんど俺のせいだけど」
「環くんのせいじゃ」
「聞いて。そーちゃんは否定するけど、何回考えても俺のせいだよ。ううん、俺のせいじゃないとこも、俺のせいにして。そうしたら、あんたのこともっと守れるようになんなきゃって強くなれるから」
 守ってもらわなきゃいけないほど弱いつもりはないけれど、それは環くんも同じことを思っただろうし、なにより、相手が弱った時に真っ先に駆けつけられる自分でありたいという気持ちは否定してはいけない。
「ありがとう」
「どーいたしまして」
 一拍置いて、どちらからともなく笑い声が上がった。ベッドの中でこんな軽口を叩けるのも、十年かけて積み上げたものがあるからだ。
「でも、もし、どうにもこうにもお互いを守りようがない強敵が現れたらどうする?」
「強敵?」
 問いかけてから、どんな例を挙げようか思案する。だって、言葉で勝てる相手なら負ける気がしないし、剣道の経験を活かせる場面なら時間稼ぎくらいはできそうだ。人体の急所を心得ているだけで、完全不利を認めるのは早い。
「そうだな……宇宙人とか」
 得体の知れないものは弱点もわからない。戦い方がわからないものこそ強敵といえる。
「怖いこと言うなよ」
「たとえ話だよ。どうする? ちなみに、僕たち以外で、その宇宙人に太刀打ちできるスペシャリストが近くにいるものとする」
 その人を頼る? それもありかもしれない。でも――
「他のやつにあんたのこと助けさせたくないから、二人で全力ダッシュ」
「逃げるんだ」
「逃げるが勝ちっていうじゃん」
 ――僕も、環くんを守るのは僕だけでありたい。
「いいね、その考えでいこう」
 宇宙人はただのたとえだけれど、得体の知れないものが強敵になり得ることは常に意識している。現実的なものを挙げるとすれば、僕たちの関係を知って非難する者とか、些細な言動で鬼の首を取ったように振る舞う者とかかな。後者はどんなに気を付けていても回避できない場合があるからたちが悪い。たちの悪いものほど、なんでもない時から息を潜めて近くで見張っているんだ。
 そういうものすべてと戦えたら立派だけれど、多くの人は、その前に諦めてしまう。たぶん、僕たちも諦める。だから、得体の知れないものからは逃げようと思うのは、べつに悪いことじゃないし、逃げる人間イコール弱い人間でもない。戦うか逃げるかを見極められるのも、強さだ。
「じゃあ、いっぱいおしゃべりしたし、そろそろ夢の中に、愛の逃避行する?」
「夢の中でも一緒にいてくれるんだ」
「まぁなー。そーちゃん、俺がいないとだめだめだから」
 残念。もう一日オフはあるから、もう少し……というかあわよくばもう一回甘えたかったけれど、これ以上の夜更かしは肌に悪い。引っ越しの片付けを未来の自分たちに押し付けたぶんもあるし。でも、またこういうおしゃべりがしたいな。


    《ひとこと感想》

     



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