無敵モード

 今週の週末だけど、急遽、予定が変更になったよ。――万理がそう言ったのは、水曜の午後だった。
「今年はさすがに無理かーって、俺なりに納得してたんだけど」
「ね。まぁ、でも、誕生日当日に遅くまで仕事っていうのは、俺個人の感情としてはかわいそうだなとは思ってたよ」
 予定されていたのは、四月一日金曜日、二十三時から放送予定だった、生配信番組へのゲスト出演。しかし、番組司会者の体調不良により、配信日時の延期が決まったらしい。何度か共演したことがあって、個人的な連絡先は知っている。先方の事務所によると、数日の休養で済みそうとのことだ。
「俺からもラビチャしてみる」
「うん、ありがとう」
 個人的に連絡先を知っている相手なら、お見舞いの言葉を送ったほうがいい。デビューしてすぐの頃、大和から教えられたことだ。大人ってそんなことまで知っているのかと思ったが、大和の出自を知って納得した。納得できる頃には、それまで一織や壮五に添削してもらわなければならなかったメッセージも、自分一人で、適切な言葉遣いを考えられるようになっていた。
 頭の中で、これが終わったらお見舞いメッセージ……と、メモを書き留め、延期先の日程を確認する。来週火曜日の、同じ時間らしい。
「じゃあ、明後日は昼で終わりだから、そのあとは週末を楽しんで」
「うん」
 誕生日当日に仕事が入ると確定した時から、事務所はせめて翌日は休ませてあげようと頑張ってくれた。このたびの仕事の延期によって、環は金曜昼から日曜午前まで――当初の予定より半日ほど長くなった――オフを獲得したのである。

 ◇

「え、なんで」
「なんでって……あんた、またカレンダー見てなかっただろ。今日の俺の仕事は延期」
 預かっている合鍵で部屋の中に入ると、環の仕事が終わるのは深夜だと思い込んだままの壮五がやけに慌てた様子で玄関先まで駆け寄ってきた。
 都度スタジオを借りるのが手間になってきたからと、防音室のある部屋を契約した壮五は、進捗が少しでも思わしくないと感じると引きこもるようになってしまった。寮で皆も待っているのにと思いつつ、好きなことを思う存分させてやりたくて、三月に教わりながら環が手ずからつくったおかずや、他のメンバーからの差し入れを預かっては、今日みたいに壮五を訪ねている。
「ラビチャは見てたんだけど……」
「零時きっかりにラビチャ送ってきたもんな」
〝誕生日おめでとう、今年もお祝いできて嬉しいです。環くんの仕事が終わるまでには目途が立つと思います、寮で過ごせなくてごめんね〟――祝いの言葉にしては申し訳なさがあふれるメッセージが、零時ちょうどに送られてきた。この人は『アイハケ!』の企画でも環の誕生日当日、零時零分零秒ぴったりにSNS上でお祝いメッセージを投稿したことがあるし、もしかしたら、脳に時報が内蔵されているのかもしれない。そういえば、出会ってすぐの頃からやれ五分前行動だのなんだのと言っていたっけ。
「おめでとうって言ったそばからごめんねってすんのやめて」
「……うん、わかった」
「これ、昼の仕事終わってソッコーで受け取ってきた」
 ゲームアプリ『KING’S PUDDING THE RUN』のリリース六周年を記念して、王様プリンの限定パッケージが発売された。ゲーム内で行き詰った時に主人公の王様プリン(プレイヤー)を助け、無敵モードにしてくれるメレンゲ姫があしらわれた瓶が登場したのだ。ゲーム六周年お祝いセットとして専用の木箱に収められたものは数量限定生産で、環はなんとしてもこれがほしくて、プレスリリースを見たその日に予約した。
「すごい……これが言ってた、あの?」
「そう、例のすごいやつ。そーちゃんが開けて」
「いいの? じゃあ……」
 木箱には『KING’S PUDDING THE RUN』と金の箔押しがなされ、中には王様プリンとメレンゲ姫がそれぞれあしらわれたプリンがひとつずつ入っている。壮五は「わっ」と声を上げた。
「瓶のデザインもすごくおしゃれだね。なんていうか、すごく大人っぽい。環くん、大事に食べるんだよ」
「や、今から食う。俺が王様プリンで、そーちゃんはメレンゲ姫な」
 この限定セットにはスプーンもついている。柄尻に王冠の刻印が入った、やはりおとなしめなデザインのもの。ファインボーンチャイナでできていて、プリンがするりと口に入る形状……と、プレスリリースの記事で読んだ。
「限定のだって、予約できた時にはしゃいでたじゃないか」
「そりゃはしゃぐだろ」
 予約だけで完売し、当日販売はなかったと聞く。そんなレアなものを無事に手に入れておとなしくしていられるか。
「だったら、なおのこと、大事に食べなきゃ」
「いいから! ほら、着席ー」
 謎の抵抗を見せる壮五をソファーに座らせ、メレンゲ姫デザインの瓶とスプーンを押し付ける。
「もう一回言うけど、俺が王様プリンで、そーちゃんはメレンゲ姫。……ゲームの、覚えてる?」
「一応は」
「じゃあ、わかって。これ食べて、メレンゲ姫になって、俺のこと無敵にしてよ」
 誕生日の今日、どうしても、無敵になりたかった。一歩踏み出すだけなのに、何年経っても勇気がたりないままだ。あと少し、もう少しと、尻込みしてばかりの自分に、いい加減、お別れしたい。
「今日、今から?」
「今日、今から。これ食べて、無敵になったら、俺の話聞いて」
 一緒にプリンを食べただけで無敵になるなんてこと、実際にはない。ただ、踏み出すためのきっかけを、これにしようと思った。
「無敵にならなくても、んむっ……」
 続きを聞きたくなくて、慌ててすくったプリンを壮五の口に押し込む。このあと、このスプーンで食べたら間接キスになってしまう。壮五との間接キスは何度も経験しているけれど、直接のキスは、まだ、知らない。
「だめ。俺のこと無敵にして、俺が頑張れたら、ゴールで教えて」
「……こういう時に無敵モードでゴールまで駆け抜けるの、ずるくない?」
「そりゃあ、俺だって、自力で走って言いたかった。実際、そーちゃんに格好いいって思ってほしくて何年も走ってきたつもりだけどさ、一人で突っ走ってても、ずっと怖かったから。大丈夫って思える感じになってからがいいなーって」
 びびりでごめん。――その言葉は、壮五の手に覆われ、実際には発せられなかった。
「いいよ。僕も……ずっと、わかってたのに、言えなかったから。大丈夫だから言ってって今すぐ言いたいけど、これは儀式みたいなものかな。それなら、……正直、一般人のままがいいけど、きみが王様プリンなら、僕もメレンゲ姫になってあげる」

 無敵モードで駆け抜けたゴールの先に待っていたのは、壮五に食べてもらったはずのプリンの味だった。


    《ひとこと感想》

     



    error: