ホワイトデー

 陸はぐっとこぶしを握り、瞳を輝かせていた。
(リベンジする絶好のチャンスだ!)
 バレンタインデー当日、陸は早朝に一織の部屋へ侵入し、まだ眠っている一織の枕元にチョコレートをそっと置いて立ち去ろうとしたが、一織に気付かれてしまった。陸はそれを、任務失敗と考えている。
 同じ失敗を繰り返さないよう、どうして失敗してしまったのか、陸なりに考えてみた。計画は完璧だったはずだ。
(一織の寝顔がきれいだったのが悪い)
 ……実際には、その寝顔に見惚れてちょっかいを出してしまったことが原因なのだが。

 あれから一ヶ月。陸は前回の失敗を活かし、今度こそ、完全勝利を決めてみせようと目論んでいる。
 最近はパンダナメコランド主催の『ホワイト・スペシャル・デイ』の仕事で忙しかった。疲れが溜まっているだろうし、一織のことだから、本日昼からのライブに備えて、ぐっすり眠ることだろう。これは陸にとって好都合だ。小説なんかだと睡眠薬を盛って眠らせるなんて方法も取れただろうが、残念ながらここは現実世界。まぁ、現実世界にも睡眠薬はあるけれど、IDOLiSH7のセンターはメンバーに睡眠薬を盛ってホワイトデーにサプライズ! ……なんてことが世に知られたら大問題。現実とフィクションの世界は切り離して考えないと。
 ちなみに、バレンタインデーにチョコレートを贈った陸がホワイトデーにもプレゼントを用意しているのは、バレンタインデーに一織からもプレゼントをもらったからだ。一織の実家で販売されているものだったが、苺がのっていて、宝石みたいにきらきらしていて、とてもかわいらしい洋菓子だった。受け取った陸がぱぁっと顔を輝かせていると、一織が隣で何度も咳払いをしていたのを思い出す。
(……と、いけないいけない。こんなだから前も失敗しちゃったんだよな)
 いくら一織のこととはいえ、他のことを考えながら成功させられるほど、この任務は甘くない。陸は己の頬を軽くぱんと叩き、気を引き締める。
 前回の失敗を踏まえて、今回は深夜零時半に任務を遂行することにした。明け方ではそろそろ目を覚ます時間だと身体が意識し始めるからよくない。眠りたての時がいい。夢の中へ落ちた時を狙って、とっておきのプレゼントを贈る。そして、今度こそ、一織に知られることなく任務を達成し、完全勝利の勲章を得て自室へと帰還するのだ。ちなみに、クリスマスじゃないのに枕元に置くことにしたのは、前回のバレンタインと同様。一番乗りしたいから。
(七瀬陸、これより、一織の部屋に突撃!)
「陸?」
「ひゃっ? ……あ、三月……」
 一織の部屋へ向かおうとした途端、背後から声をかけられる。三月には悪いが、早速出鼻を挫かれてしまった気分だ。
「どうした?」
「あ、えっと、……そう、一織の部屋に忘れものしちゃって。まだ起きてると思うからささっと取ってこよっかなー……なんて」
 ちょっと苦しいかなと思いつつ、咄嗟に浮かんだ言い訳がこれだから仕方がない。
「ふーん。明日ライブなんだし、陸も早めに寝ろよー?」
「うん、そうする。おやすみ」
 三月はそれ以上話を続けることなく、自室へと入っていった。
(はぁ~~、びっくりしたぁ……いきなり声かけるんだもん)
 その場にしゃがみ込んで、心を落ち着ける。重大な任務に赴くのだ、動揺したままでは失敗を招きかねない。

 十五秒ほどそうしていただろうか。うるさいほどの心音が、ほどよい緊張へと変わったのを見計らって、陸は立ち上がった。
「よし、今度こそ」
 一織の部屋のドアノブへ手をかけ、殊更ゆっくりと力を込める。ドアの蝶番も陸に味方して、キィという音を立てることなく、ドアの開放に成功した。
(うん、部屋の電気も消えてる。ちょうど寝入ったとこかな)
 ラビチャも既読が付かなくなって三十分経過したし、今日のオレは完璧! と陸は意気込む。完璧というと一織のイメージだけれど、陸だって、やる時はやるのだ。
 心の中で「お邪魔します」と呟いて、足を踏み入れた。
 常夜灯の中、目を凝らしてロフトベッドのほうを見遣る。膨らんだ掛け布団は動く様子もない。これは完璧に眠っていると判断していいだろう。
 あまり長居して、万が一、一織が目を覚ましてしまっても困る。陸は、ロフトベッドのはしごを軽やかな足取りで昇った。
(へへ、楽勝楽勝。やっぱ明け方より寝てすぐにして正解だったなー)
 あとはこのプレゼントを枕元に置いて、速やかに撤退するだけ。
「…………ん?」
 確かに、掛け布団は膨らんでいた。しかし、そこにいるはずの人物がいない。
「えっ、あれっ」
 陸は慌てて掛け布団をめくる。そこには、一織ではなく、クッションや折り畳んだタオルが縦に並んでいた。
「どうしよう、一織がタオルになった?」
「そんなわけないでしょう」
 思わぬところから声が聞こえ、陸はびくりと肩を震わせる。部屋が暗くて、どこから声がしたのかわからない。
「なになに、なんで? わっ」
 ぱっと部屋が明るくなり、陸は反射的に目を瞑ってしまった。二、三秒待ってから、ゆっくりと目を開ける。
 明るくなったおかげで、声の出所がすぐにわかった。
「一織……」
 部屋のドアを開くと死角になる壁に、もたれかかるようにして、一織が立っていたのである。
「まったく……、あなたの考えてることなんてお見通しですよ」
「い、いるならいるって言えよな! びっくりしたじゃんか」
 いつまでもはしごを登った体勢でいるのも格好悪い。陸は少し恥ずかしさを感じながら、はしごを降りた。降りてから、手に持っているものが丸見えなことに気付き、陸は咄嗟にプレゼントを後ろへと隠す。
「人の部屋に夜這いに来ておいて開き直りですか」
「夜這……違うよ!」
 確かに、夜にどちらかの部屋でこっそり会って、そういうことをする日もあるけれど、今夜のこれは、決して、そういうつもりじゃない。
「どうでしょうね。七瀬さんには前科がありますから」
 一織が一ヶ月前のことを言っているのだと、すぐにわかった。あの時の陸は、一織の寝顔に見惚れ、つい、キスをしてしまったのだ。目的はバレンタインデーのプレゼントを一番に渡すために枕元に置くというものだったが、やっていることは夜這いみたいなもの。
「今回は純粋に、一織にこれを渡したくて来たんだよ! っていうか前だって夜這いじゃなくてプレゼント渡したかっただけだし」
 ずい、とプレゼントを一織の前に突き出す。
「これは……」
 あぁ、どうしよう。本人が眠っている間にこっそり置いて速やかに撤退するシミュレーションだけは十回くらいしたけれど、起きている本人に渡すシミュレーションなんて全然してこなかった。――陸はしどろもどろになりながら、ここに来た目的を打ち明ける。
「今日、ホワイトデーだろ。一織からチョコもらったし、オレだって、一織の……彼氏、なんだからお返しっしたくて……」
「かわ……」
 恥ずかしさから尻すぼみになっていく言葉に、一織まで恥ずかしくなってしまう。元々、一織は人一倍照れ屋で恥ずかしがり屋だ。口許を手で覆い、なにやらもごもごとしている。その様子がじれったくて、陸は一織の顔を覗き込んだ。
「だめだった?」
 とどめの一撃。それでなくても、出会ってすぐの頃から陸のことを「かわいい」と思っている一織だ。深夜、自分の部屋。かわいい恋人、しかも部屋着。顔を覗き込まれる。あざとい。こんなあざとさが許されていいのか? 否、よくない。――一織は心の中の言葉を反語で締め括り、咳払いを一つ。そう、よくないあざとさを見せた恋人に、判決を下さなければ。
「えぇ、だめです。ホワイトデーは三倍返しというでしょう」
「えー! ……じゃあ、一織だって三倍オレに返してくれなきゃ不公平だろ」
 先月、陸からプレゼントを贈っているのだ。
「もちろん、私に抜け目はありませんよ。誠心誠意、三倍返しさせていただきます」
 その笑顔に、陸は背筋に汗が流れるのを感じた。あれ? これって任務成功? それとも失敗?


    《ひとこと感想》

     



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