誘惑

「はぁ……、ランキング外かぁ……」
 陸は雑誌を閉じ、カーペットの上に放った。
ばさりと音を立てたそれは、陸の放り方がよくなかったのか、目次が書かれたページを開いて着地する。わざわざそれを閉じ直す気にはなれないから無視をして、クッションに背中をあずけた。陸をだめにもしてくれるし、優しく癒してもくれる、お気に入りのアイテム。この部屋になくてはならないもの。身体の向きを変え、クッションに頭を擦りつけるようにすると、まるで頭を撫でてもらっているようだと思った。慰めてくれているのかな……なんて、クッションに対して思ってしまった。自分でしたことなのに。
 スマートフォンを手繰り寄せ、ラビットチャットを開く。トーク履歴の一番上を占めていることが一番多いのは一織。その次に百、環、三月、紡……と並んでいる。
 一織とのラビットチャットのトーク履歴も、陸が一番上にいることが多いらしい。一緒にいる時間が多いのになぁと思いながらトーク画面を開いた。中身は、他愛もない話が圧倒的に多い。指をすいすいと滑らせて過去の内容へと遡る。
(はは、オレたち、最初の頃こんなんだったっけ)
 一日一往復あるかないかで、内容は仕事のことや買い出しの内容ばかり。スタンプも少なくて、互いに緊張していたのだろうということがわかる。そのわりには、出会ってすぐの頃から、一織は小言が多かったような気がするけれど。
 もう一度、最新の内容まで指を滑らせ……ている最中に、新着のメッセージが届いた。
(一織だ!)
 不可抗力とはいえ、すぐに既読をつけてしまったことになる。一織からの連絡を待ち構えていたように受け取られやしないだろうか。少し、恥ずかしくなった。
(まぁ、待ってたけど)
 内容を見ると『部屋に伺ってもいいですか』とある。隣なんだから、ドアをノックして確認すればいいのに、几帳面なやつ。こういうやりとりをするから、一緒にいることが多いのに、ラビットチャットのトーク履歴の一番上が一織になりがちなのだ。
「いいよ……っと」
 文字で打ったあと、送信ボタンをタップする前に一瞬だけ考え、その文字を消す。王様プリンが親指を立てているスタンプだけを送信した。
(そうだ、さっきの…………)
 陸は放ったままにしていた雑誌に手を伸ばし、さきほどまで見ていたページを開く。
「……よし」

 一織はドアをノックする時も丁寧だ。控えめに二回。メンバーの中では壮五も控えめにノックをするタイプだけれど、陸はこの叩き方だけで、訪問者が一織だとすぐにわかる。
「はーい、開いてるよ」
「お邪魔します……って、七瀬さん、なんですかそれ」
 一織は陸の部屋に入るなり、顔を顰めた。陸は俯せになってクッションに身体を埋め、顔だけをこちらに向けているのだ。お世辞にも、人を出迎える体勢とはいえない。
「ね、一織。どう思う?」
 そう言った陸の瞳は揺らめいていて。しかし、質問の意図がわからず、一織は返答に窮してしまう。
「どう、と言われましても」
 なにをしているのかがわからない。しかし、俯せで蹲って、気管を圧迫するのはよくないことだけはわかる。ひとまず身体を起こさせようと近寄った一織は、カーペットの上に置かれた雑誌に気付いた。
(また雑誌をこんなところに……)
 その表紙には大きな文字で〝○○されたい男〟というあおりがある。それを見て、一織は「あぁ」と納得した。
「七瀬さん」
「なになに?」
 一織から感想が聞けるのだろうかと、陸はがばりと身体を起こす。その動きに苦笑しながら足許に落ちている雑誌を拾い上げ、テーブルの上に置いた。
 陸が期待のまなざしを向けていることに笑いが堪えられない。瞳を輝かせて、陸の背後に「わくわく」という文字が躍っているように見える。
 一織は膝を折り曲げ、跪いた。そのまま陸の左手を取って、瞼を伏せる。
(わ、一織、王子さまみたい……)
 一織の所作に、きゅうっと胸が締め付けられる。仕事で一織が白雪姫の王子様の衣装を着たことがあり、白雪姫を模した衣装に包まれながら秘かにときめいたのだけれど、本当に、一織は王子様キャラだなぁと思う。
 そのまま、一織の唇が陸の指先に軽く触れる。
 陸は自分がやろうとしていたことも忘れ、ときめいてしまった。伏せていた瞼をゆっくりと上げた一織は、続いて、陸の耳許に唇を近付ける。
「……こういうことを、したいんでしょう?」
 陸の顔がぶわりと赤くなる。だめだ、もう一度、恋に落ちてしまった。そんなに格好いいなんてずるい。
「な、あ、……え、…………」
 言葉がうまく出てこない。顔が熱くて、涙目になってきているのが自分でもわかる。ずるい。ずるいずるい! 一織ばかり、自分のことをときめかせてくる。自分だって、一織のことをどきどきさせたいのに。

 一織としては、陸のこの反応は想定内だったようだ。雑誌を手に取り、陸が見ていたと思われるページを開く。どこを見ていたかなんて一目瞭然。だって、何度も開いた形跡があるから。目的のページに辿り着き、ちらりと横目で陸を見遣ると、案の定、頬を膨らませて拗ねていた。だから、どうしてそう、すぐにかわいいことをするのか。こほん、と咳払いをして、あくまでも冷静に話すことに努める。
「抱かれたい男ランキング、王子様系男子ランキング、理想のお兄さんランキング、弟にしたいランキング……よくもまぁ色々なランキングがあるものですね。個人的な理由ですが、私としては、七瀬さんに抱かれたい男ランキングに入られたくないですね」
 陸は「なんだよそれ」と言って、唇を尖らせた。陸が真似をしていたのは、抱かれたい男ランキングのページに掲載された写真で、環が取っていたポーズ。自分がどのランキングにも入っていないことを嘆いているようだけれど、そういう表情をしているうちは、抱かれたい男ランキングに入ることはなさそうだ……と一織は安堵する。
 一織が真似をしたのは、その次のページに掲載されたランキング。なんと、一織が王子様系男子のランキングに名を連ねたのだ。一位はナギで、一織は残念ながら六位だったため、名前のみの掲載。さきほどの一織は、ナギが掲載された写真と同じポーズを取ったものだ。陸にしてみれば、恋人である一織にそんなポーズを取られたら。
(ナギのところのキャッチコピー通りじゃん……)
「……おとぎ話の国に誘い込まれたくなりましたか?」
「自分で言う? しかも顔真っ赤。……まぁ、いいよ、誘われてあげても」
 あぁ、悔しい。こちらが誘惑して、一織のことをどきどきさせるつもりだったのに。


    《ひとこと感想》

     



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