表情

 さて、どうしてくれようか。
 一織が用意したホットミルクを飲みながら、ソファーに身体をあずけている陸を、こっそりと盗み見た。共有のリビングでは他のメンバーも勢揃い。皆、思い思いに、コーヒーを飲んだり、菓子を食べたりと、寒い冬の、少し早いおやつタイム。
 おやつタイムと並行して、菓子とは不釣り合いなサスペンスドラマの鑑賞会が開催されているのだが、これは一昨日放送の、一織が出演した単発もの。被害者の息子役で、冒頭で遺体の第一発見者となり、結末部分では刑事とともに犯人へ詰め寄るという流れだ。
 今夜出演する生放送の音楽番組が、IDOLiSH7の新曲初披露となる。新曲のデモテープを聴いた時から、各音楽配信サイトで一位を狙えると一織は確信していた。サビの少し前から続く陸のソロは圧巻だ。一織が惚れ込んだ七瀬陸の歌声を、一織が誇るIDOLiSH7の新しい魅力を、またひとつ、世間に知らしめる日。
 陸のことを盗み見ていたら、ばちんと視線がかち合ってしまった。咄嗟に視線を逸らそうとするも、視界の端で陸が口を動かしたのが見えて、なにごとかと思い、視線を戻してしまう。
 ――なぁに?
 ホットミルクを飲んで濡れた唇。一織の目には、なぜかそれがスローモーションに映った。自分は淡白だと思っていたのに、陸と出会ってからはそれが覆されてしまった。
 一織は今度こそ視線を逸らすと、自分用に淹れたコーヒーを一気飲みして、キッチンのシンクへと向かう。洗い桶にマグカップを浸すと、とぷんと音を立てて、あっという間に沈んでいった。
(なんっ……ですか、あれは!)
 たったあれだけの唇の動きにすら、一織は劣情を抱いてしまう。ソファーで隣に座っていたはずなのに、視界には陸の唇しか入らなかった。あの、昨晩何度も触れた、唇。
 きっと、今の自分は情けない表情になっているのだろう。こんなところ、いくら気心知れたメンバーであっても、見せられたものではない。あぁ、本当に、どうしてくれよう。
「一織?」
「ひっ……」
 完全に油断していたところに声をかけられて、情けない声を上げてしまう。
「どうしたんだよ、まだクッキー残ってるのに」
 ひょい、と陸に顔を覗き込まれて、一織はぴしりと身体を硬直させた。
(近い、近いんですよ、いちいち!)
 小首を傾げる陸の動作がいちいちかわいくて、また、視線を逸らしてしまった。
「……満腹ですので。私のぶんも、七瀬さんが食べてくださって結構ですよ」
 身体ごと陸に背を向けると、陸は反対側から一織の顔を覗き込んだ。
「どっか調子悪い?」
「別に、どこも悪くありませんけど」
 うそ。心臓に悪い。自分にまとわりついてくる、このかわいい恋人の一挙一動に、毎日どきどきさせられっぱなしだ。恋心が爆発しそうで、調子が悪い。
「ふぅん?」
「……なんですか」
 どこか納得いかないといった表情の陸。この真っ直ぐな赤い瞳に、うそや誤魔化しは通用しないことなど、一織はとうに知っている。彼を不安にさせないために取り繕い、その場は凌げたとしても、最終的には見破られてしまう。自分たちはたった一歳しか違わないのに、こういうところで、未熟者だと思い知らされる。
「一織のエッチ。さっきからオレの口許ばっかりじろじろ見てさ」
「なっ……」
 色事なんて知らなさそうな、きらきらとした赤い瞳が揺らめく。あぁ、この色は、昨晩も見た色。
「昨日、たりなかった?」
 耳許で吐息混じりに囁かれ、一織は、ばっと音が聞こえそうなほど大きな動作で、自分の耳を押さえた。
「はっ? ば、ばかですかあなたは! 誰かに見られたら」
「大丈夫、みんなテレビに夢中だから。昨日、一織と二人で見たからいいかなって」
 昨晩、一織が部屋で出演番組のチェックをしようとしたところに、陸がやってきた。一緒に番組を見たあと、一織としては、反省点をノートにまとめたかったのだが、ペンを取ろうとした手を陸に掴まれ、なにごとかと振り返ったのがいけなかった。あっという間に指先を絡めとられてしまったのだ。
〝昨日〟という言葉に、その後の情事の記憶がよみがえる。もう何度も身体を重ねているというのに、いつまで経っても、気恥ずかしさは消えてくれない。陸もまた、自分が発した〝昨日〟という言葉に、昨晩のことを思い出したらしく、頬を赤く染めていた。
「……そんな顔しないでもらえますか」
「そんな顔ってなんだよ!」
 ひどい顔をしているのだろうか。陸は自分の顔をぺたぺたと触る。その様子を見て、一織は思わず笑ってしまった。
「本当に、……ひどい顔です」
 色っぽく瞳を揺らめかせていたと思ったら、今度はおろおろして、色気のかけらもありゃしない。表情がくるくる変わって、そのすべてに、かわいいと思う。すべてを見たいと思ったら、一瞬たりとも目が離せない。
 あぁ、どうしてくれよう。こんなにも虜だなんて。かわいくて、愛おしい。それらの気持ちが身体中を慌ただしく駆け巡るから、気持ちの休まる暇がない。毎日どきどきしっぱなしだ。
 頬がゆるむのを押さえられないまま、一織は陸の頬に手を滑らせた。
 ひどい顔なんて言ったものだから、陸はすっかりむくれてしまった。不機嫌を詰め込んで膨らんだ頬を親指の腹でゆっくり押すと、中の空気が口から出て、しぼんでいった。
「……一織だって、ひどい顔してる」
 声音を聞く限り、まだ少し、ご機嫌斜めな様子。おまけに、ひどい顔だと言い返してきた。うん……かわいいけれど、そろそろ機嫌を直してほしい。
 一織は周囲を見回して、他のメンバーがこちらを見ていないことを確認する。
「言い過ぎましたね」
 唇では止まらなくなってしまうから、今は頬で我慢してほしい。頬にくちづけて、ゆっくり顔を離す。
「……しょうがないなぁ」
 唇ひとつで、あっという間にご機嫌だ。かわいくてたまらない。


    《ひとこと感想》

     



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