無自覚

 最近、ここのところが変なんだ。陸はそう三月に訴えかけた。ここ、と言いながら、胸のあたりに拳を押し付けて。
「変? ……って、まさか体調が悪いのか?」
 三月はクッキーを食べようとしていた手を止めて、神妙な面持ちになる。
 最近は体調が落ち着いていることが多いから安心していた。しかし、考えてみれば、空気の乾燥しやすい季節や台風の多い季節は陸にとって大敵だ。ストレスだって、陸には人一倍、負荷がかかってしまう。
「ううん、そうじゃなくて。うまく説明できないんだけど」
 思わずソファーから腰を浮かせていた三月は「なんだ……」と、再び座り直した。体調は悪くないなら、よかった。……いや、よくない。心臓のあたりが変って、それ、どう考えてもやばいだろ。
「どんな時におかしいんだ? 今もか? ほんとに病院とか行かなくていいのか?」
 三月がそう尋ねると、陸は「うぅん……」と少し考え込んでから、口を開いた。
「一織の」
「一織の?」
 まさか、一織がなにかやらかしたのか? あいつ、陸のこと構いた過ぎて、ついつい言い方が辛辣になっちまう時があるからなぁ。構ってやりたいなら素直な構い方をすればいいのに、どこで育て方を間違えたんだろう。両親が店で忙しかったから、四歳上のオレが見てることが多かったんだけど……一織は小さい頃からなんでもできちゃったから、オレはよその家の兄貴に比べたらかなり楽をさせてもらってた。でもその考えが間違いだったのか? 育て方は各ご家庭次第って言うけど、よその家と同じようにした方がよかったか? あぁ、兄として申し訳ない。――そんな三月の考えを察したのかどうかはわからないけれど、陸は慌てて「一織が悪いってわけじゃなくて」と付け足した。
「一織のことを見るたびに、こう……そわそわしちゃって」
 陸はまなじりを薄っすらと赤く染めて、胸許を抑える拳に力を込めた。その言葉と表情に、三月はぴしりと固まる。
「…………そわそわ?」
 えっと、オレ、このまま陸の話聞いてていいのかな。多分、いや、絶対、いやな予感しかしないんだけど。なんかこれ、中学や高校で見たことあるぞ。クラスの女子が、学年一モテてるやつのこと見てる時にこういう顔してた。あー、うん、すっごく似てる。似てるっていうか、ほぼ同じだろ。……そっかぁ、陸……。
「一織にまた怒られる! って思った時もそわそわするんだけど、それとは違って。別になにもしてない時でもそわそわしちゃってさ、そしたら一織がこっち見て、なに見てるんですかって睨むんだ」
 そりゃあそうだろう。話しかけるわけでもなく、ただじっと見つめられていたら、誰だって「なにか用があるのか」と疑問に思う。
「……それで? 陸はなんて答えたんだ?」
 陸の話相手がオレでよかったのかもしれない。大和さんは陸に甘いから、陸のこんな話を聞いたら戸惑うだろう。環が相手だと、多分、会話にならない。壮五は……オレと同じように察するだろうけど、MEZZO”のことを思うと、あいつの胃に穴を開けるわけにはいかない。ナギも適任っちゃあ適任だけど、感激屋なところがあるからな。冷静に話を聞ける確率は四割ってところ。もちろん、当事者である一織に聞かせるなんてもってのほか。
 ……やっぱり、オレしかいない。そう判断した三月は、クッキーの盛り付けられた皿をテーブルの脇に寄せ、陸の話に耳を傾けることにした。さて、どうしたものか。
「オレ、別に一織のこと見てるつもりはなかったんだけど? って言ったんだ。そしたら一織のやつ、それならいいですけどって言うくせに、そのあともオレのこと睨んでさ。次の日もその次の日も、もう、ずーっと見られてて。今度はオレが、なんか用? って聞いたら、真っ赤な顔して、なんでもありません! なんて言うんだよ?」
 いや、憤慨してるけど陸も同じことしてるんだぞ……と言いかけてやめた。陸からは死角になって見えない位置、そこに一織が立っていることに気付いたから。頬をわずかに赤らめているその表情を見て、三月はすべてを察してしまった。
(……ふぅん? そういうことかぁ)
 これ、なんていうんだっけ。ナギが押し付けてきたライトノベルに出てきたような記憶があるな? と記憶を辿る。人気の本だから読んでほしいと押し付けられたのだ。彼は、観賞用・布教用・保存用にと三冊購入していて、三月が押し付けられたのは布教用だ。外でも読めるようにと、シンプルなデザインのブックカバーまでかけられて。
「三月?」
 急に黙りこくった三月を訝しんで、陸が三月の視線を追う。当然、一織がいることに気付く結果となり、陸は慌てだした。
「……人のいないところで陰口とは、随分、いい性格されてるんですね」
「かっ、……そんなわけないだろ! 被害妄想! 一織こそ、人のこと毎日じろじろ睨んで、どういうつもりなんだよ」
 陸は思わず立ち上がる。陸の身体がテーブルに軽くぶつかってマグカップの中身が揺れたけれど、半分以上減っていたおかげで、中身はこぼれずに済んだ。
(あーあ、喧嘩勃発……)
 思い返せば、この二人は出会ってすぐの頃からこうだった。
 拗れる前に仲裁するのがお兄ちゃんの役目だ。昔は確かに、手のかからない、なんでもできちゃう弟だったけれど、こういうところは人一倍、手がかかるらしい。まぁ、お役御免ではないことがわかって、ありがたいと思うべきか。
(こうなったら一織も陸も、まとめて面倒見てやるか)
 最年長ではないものの、七人の中で、三月は自分が兄というポジションだと自負している。最年長の大和にあるのは兄らしさではなくはリーダーらしさだ。メンバー全員の家族構成を考えると、三月と環が兄となるけれど、環は最年少なため……やはり、三月がこのメンバーの兄ということになる。そして、一織と陸はどちらも家族構成通り、弟。
「あぁ、もう。喧嘩するなよ、おまえら。一織は座れ。陸も、そうかっかするな」
 二人とも兄という存在に弱い。三月の言葉に、二人は渋々、ソファーに腰を下ろした。
「兄さんがそう言うなら」
「……ごめん、三月」
 まったく、かわいい弟たちだよ。
(あぁ、思い出した)
 ナギに読むよう押し付けられた本に出てきた言葉は〝両片想い〟だった。少し背中を押してやれば、互いの気持ちに気付いて、すんなりと収まるに違いない。
「いいって。それよりおまえら、ちゃんと話し合え。どうも、二人とも同じこと考えてるっぽいから、話せばすぐに解決する」
 喧嘩の仲裁じゃなくて、カップル成立の仲介役になるなんて、数分前の三月は思ってもみなかった。ただ、目の前で甘い空気になるのは勘弁してほしいから、こうして、きっかけだけ与えたあとは若い二人に任せ、お兄ちゃんは退散させてもらおう。
 三月はそう決めて、飲みかけのコーヒーを一気に呷ってから立ち上がった。部屋に戻ってダグラスのSNSチェックでもしようと考えたのだ。
 しかし、その三月の足を二人の言葉が止める。
「同じこと考えてるってなに? オレ、一織になに考えてるの?」
「兄さん、私の言動に、七瀬さんに通ずるものがあると感じるところがあったのでしたら説明してください」
 ――まじで? 二人とも自分がどうしてそんな態度なのかわかってないんだ?
 ひくり。三月は自分の表情が歪むのを感じたのだった。


    《ひとこと感想》

     



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