ここはテレビ局内の通路。いくら人目を気にして小声だからといって、これはない。
「一織、あのさ」
つい今しがた、一織に言われた言葉を頭の中で反芻する。
「なんですか」
「いや……いいよって言ったけど、改めて考えたらすごい言葉だなぁって」
一織の顔色を窺って、一織に判断を委ねて。他の誰かの言葉よりも一織の言葉を聞く。
「なにも、あなたを抑圧したり束縛したりというのが私の目的ではありません。ですが、百さんの言うことと、あなたの断片的な情報から察するに、あの人はあなたを随分と、その……」
「気に入ってるって? 一織、心配してるの? もしかしてやきもち?」
陸は純粋過ぎて、人を疑うことをしない。多少の警戒心を抱いても、好意的な言葉を聞けば、ふわりと警戒心を解いてしまうところがある。月雲了に対しての警戒心を緩めさせるわけにはいかない。自分と相手を同一視するタイプは、かなり危険な存在だ。悪意ある言葉を浴びせ、それを相手に「真実だ」と受け入れさせてしまう恐ろしさがある。
「心配するのは当然でしょう。彼はこの後、確実になにかを仕掛けてきます。IDOLiSH7を陥れるような、なにかを。……もちろん、そうやすやすと陥れられるような私たちではありませんけど」
「そりゃあ、そうだけどさ」
少し前、一織から「なにか気がかりなことはないか」と尋ねられた。陸の答えは、天とTRIGGERが気がかりだということ。
TRIGGERはもう一度自分たちで大舞台に立つと言って、先日、FSCホールでの公演を大成功におさめたところだ。自分たちは後輩として、ファンとして、そして、陸個人の目線でいえば天の弟として。彼らを陥れた悪意を一刻も早く取り除くことができるよう、協力をしたい。先輩であるRe:valeのステージ上にTRIGGERがバックダンサーとして登壇したことは、彼らが戻ってくるための道標となったことだろう。
もう少し、もう少しだ。あともうひとつ、大きななにかがあれば、TRIGGERはここに戻ってくるだろう。今日の『Friends Day』でこのあとにIDOLiSH7がTRIGGERの『SECRET NIGHT』を歌うことが、その〝大きななにか〟になるかもしれないと、陸はそう感じている。恐らく、他のメンバーも同じことを考えているだろう。
「私があなたをコントロールしなければ、この危険な状況は乗り越えられないかもしれない。手段は選んでいられません」
「うん」
陸をスーパースターにするという夢を叶えるためなら、一織はなんだってする。
「さきほども言ったように、私を嫌っても憎んでも構いません。ただ、あなたの願いのために、どうか」
「嫌いになるわけないだろ」
まっすぐ見つめられて、一織は口籠ってしまう。初めて出会った時から、どうもこの視線に弱い。
「……普段の七瀬さんとは比べものにならないレベルの無茶振りをしている自覚はありますから」
「それでも! 一織は」
声が大きくなってしまっていることに気付いて、一織が慌てて陸の口を手で塞いだ。
「声が大きいです。誰かに聞かれたらどうするんですか」
「ごめん。でも、一織のこと嫌いになるとか、憎むとか、絶対にない。それだけはわかって。だって」
声のトーンを更に落とし、陸は「だって」と続ける。
「友達だから、ですか? まったく……なにげに残酷ですよね、七瀬さんは」
「そんな言い方ないだろ。だって、まだ、わかんなくて」
……好きという言葉を一織から告げられたのは、少し前のこと。陸はそれに対して、未だ、明確な返答を出せていない。友達というカテゴリに入っていることは、嬉しくないわけではないけれど、一織としてはものたりない。
「でも、私が他の誰かを構うのは嫌なんでしょう? まぁ、心配なさらなくても、あなたを構うので手一杯なので。そんな心配は不要ですよ」
「うん……」
まったく、我儘な人だ……と一織は思う。自分の恋人にはなってくれないのに、独占欲を向けてくる。でも、そこがたまらなくかわいい。恋愛感情とは、一種の中毒症状に陥ることなのかもしれない。
「あなたに負荷をかけたくはありません。だから待つと言ったでしょう。それに、置いていかないでというお願いが聞けただけでも、私にとっては収穫ですから」
互いに、二人だけの世界へ落ちていくような言葉ばかりを並べてしまった。だから、陸は「すごい言葉」と称したのだろう。
この言葉だけを挙げれば、どこかへ駆け落ちする恋人たちのようだ。残念ながら、恋人関係にはない。とはいっても、まだ恋人関係にないだけで、勝算はあると考えている。
「う……なんか、改めて言い直されると恥ずかしい」
「あなたが言ったんですよ。自分で言って自分で恥ずかしがってどうするんです」
置いていかないから置いていかないで、なんて。つまり、ずっと一緒にいてほしいと同義ではないか。こんな言葉まで聞かせておいて、恋人にはしてくれないなんて。待つとは言ったものの、歯がゆさを感じてしまう。
「なんだよ、一織だって顔真っ赤」
「うるさいです。……と、そろそろ時間ですね」
行きましょうか、と一織が手を差し出す。きょとんとした表情でその手を見つめる陸に焦れて、一織は陸の手を掴んだ。少し汗ばんでいて、緊張しているのがわかる。
「人目を気にするんじゃなかった?」
「置いていかないでと言ったのはあなたでしょう。それを実行してるだけです。急がないと、間に合いませんよ」
もっともらしいことを言いながらも、一織は耳まで真っ赤だ。スタジオに着くまでに元の顔に戻るのだろうか。
「有言実行だ。へへ、そういうとこは好きかも」
握られていた手を握り返すと、一織の肩がびくっと震える。一織でも動揺するんだ、なんて考えてしまった。そりゃあ動揺するよね。
「好、き……とか簡単に言わないでもらえますか」
心臓に悪いだとか、これだから困るだとか、ぶつぶつ文句を言っている。
一織の言葉なら、皮肉だろうがお説教だろうが、陸はなんだって聞いていたいと思っているけれど、……残念、そろそろ時間切れだ。だって、スタジオに戻るまでにゆるんだ口許を元に戻さないといけない。
あぁ、でも、これだけは訂正させてもらいたい。三秒で済ませるから。
「簡単に言ったんじゃないよ。オレだってどきどきしてる!」
「~~っ、やかましいです!」
恋愛感情? なのかは、まだ判断できない。一織と同じだけのものを自分も返すことができるのか、まだわからない。でも、返せたらいいなぁとは思っている。
もう一度手を強く握り直して。なんだかすごい言葉の応酬だったけれど、多分、自分たちがこうやって手を組めば、なんだってできる気がする。
無敵になった気分だ。なにも怖くない。