――私が必ず、あなたをスーパースターにします。
 ミュージック・フェスタを控え、部屋でTRIGGERのライブ映像を観ていた陸に、一織がかけた言葉。
 初めてのテレビ出演だったミュージック・フェスタ当日のことは、今、思い出しても、心につきりと刺さるものがある。
 陸が発作を起こしかけていることを察知し、どうフォローすべきかを考えるあまり、自分の歌うパートがきているのにもかかわらず、歌いそびれてしまった。結果、IDOLiSH7のデビューは先延ばしとなってしまったのだ。
 あの日、本番を終えたあとに一織が向かったゼロ・アリーナ。メンバーが駆け付けた時、彼は一人、涙を流していた。いつも説教くさくて、年下のくせに生意気だとばかり思っていた一織の弱いところを、初めて見た日だ。
 まるで昨日のことのように思い出せる。

「あの時の一織、かわいかったなぁ」
 茶化すつもりはまったくない。あの日のことは、陸にとっても、忘れがたい、悲しかった思い出のひとつだ。
「……なんですか、唐突に」
 一織はかわいいものを秘かに愛でているけれど、自分がかわいいものになりたいとは思っていない。ましてや、日頃「かわいい」と思っている相手からかわいいと言われるなんて心外だ。
「ぽろぽろ泣いてさ、……あっ、いや、からかうつもりはなくて。一織にもかわいいとこあるんだなって、あの時思ったんだ」
「その話、ここでしますか」
 一織としてはたまったものではない。ここは陸の部屋で、そろそろ眠ろうかというタイミングなのに。
「寝る前だからだよ。普段はあんまりできない話って、寝る前にしたくなるじゃん」
「話すにしても、人の泣き顔をかわいいだなんて、悪趣味でしょう」
 誕生日に発売されたフォトブックのインタビューで、悲しかったこととしてあの日のことを挙げられるくらいには、もう思い出にはできている。それでも、泣いた自分をかわいいと言われることには納得がいかない。
「なんだよ、久しぶりに一緒に寝るんだから、すぐに寝たらもったいないだろ?」
むっと唇を尖らせ、ぐいぐいと一織の身体に体当たり。
「ちょっと……狭いですよ」
 一人用のベッドで男二人。どちらも大柄ではないものの、寝返りを打たれると、やはり窮屈さを感じる。昔の一織ならば、狭い思いをしてまで他人のベッドに入るなんてことはしなかったのだけれど、頬を膨らませている恋人のせいで、……いや、恋人のおかげで、狭いと言いながら眠るのも悪くないと知ってしまった。

 陸が寝返りを打ったことで、さきほどまでよりも、互いの顔の距離が近い。常夜灯でぼんやりと照らされる顔を見て、一織は「あ」と声を上げそうになった。
「なに?」
 薄暗いけれどあたたかな光の中で、燃えるように煌めく赤い瞳。そこから視線を滑らせれば、頬に涙の痕が残っている。
 自分が泣かせることはしないでおこうと心に固く誓ったものの、時々、こういう涙を流させてしまうことはある。陸は「痛いとかいやだとかで泣いてるんじゃないから」と言うけれど、それでも、大切にしたい相手に涙を流させてしまうことに、少なからず、罪悪感を抱いていたのだ。
 しかし、……。
「いえ、かわいいな、と思いまして」
 陸の頬に残る涙の痕を親指でなぞる。ついさきほどまで一織に抱かれ、快感で涙を浮かべていた痕跡だ。
「…………は?」
 顔から火が出るとは、まさにこのこと。薄暗い部屋でもわかるくらい、陸の頬は赤く染まった。恥ずかしさで頬が熱いのだろう、瞳が潤んでいる。あぁ、止まった涙の名残が、一滴くらいこぼれてきそう。
 涙はしょっぱいというけれど、この人の涙なら、もしかすると甘いのかもしれない。一織らしくない、ファンタジーのようなことを考えた。
「あ、いや……」
 陸の反応を見て、一織は自分の発言の恥ずかしさに気付いたものの、既に遅い。抱く側の余裕みたいなものが出てくるようになってから、一織は時々、情事のあとにこういった発言をしては、自分で照れているのだ。おかげで、涙が甘いかもしれないなんていう考えもどこかへ消えてしまった。
「じ、自分から言っておいて照れるなよな!」
 恥ずかしいのはこっち! と陸は身体を丸め、一織の胸許に頭を寄せるような体勢になる。まったく……そんなことをしても、かわいいだけなのに。
 十秒、二十秒――恥ずかしさで火照ってしまった頬の熱に慣れてから、一織は陸に声をかけた。
「七瀬さん。七瀬さん、顔を上げてください」
 顎に手を伸ばし、喉をくすぐるようにあやすと、陸は小さく身を捩った。もう少し、あと少しで顔を上げてくれるはず。
 一織の予想は正しく、もう一度指先でくすぐると、陸はがばっと顔を上げた。
「もう、なんだよ。寝るんじゃなかったの?」
「……っ」
 頬を膨らませて、さきほどよりは赤みはおさまっているものの、相変わらず陸の瞳は潤んだままだ。嗜虐的な嗜好はないはずなのに、涙目の恋人を見て腹の奥底で欲が渦巻くなんて、まずいのではないかと思う。
 更に十秒、今度は素数を数えた。――よし、大丈夫。いくら若いとはいえ、翌日の予定を考えずに恋人を抱いていい職業ではない。明日の生放送では、彼も自分も、元気な姿を見せなければならないのだから。生放送で動揺からミスを犯して、後悔の涙を流すなんてことは、あれっきりにしなければ。
「……もちろん、寝ますよ。さぁ、七瀬さんも、いつまでも照れてないで。ちゃんと寝てくださいね。明日は生放送ですから、ドジを踏まないように」
「わかってるよ。……って、なに」
 腕に抱き込むついでに、目許に軽いキスをする。
 涙の痕が残っているだけで、やはり一滴もこぼれていなかったけれど、甘い味がするような気がした。


    《ひとこと感想》

     



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