手繋ぎ

 はぁ、と息を吐き出してみると、白いもやもやが出てきて、いつの間にか寒くなっていたのだと気付く。眼鏡をかけて、帽子を被り、傍目には自分が逢坂壮五だと気付かれないように。アイドルとしてそこそこ顔が知れ渡ってしまっている立場ということもあって、万理が車で送ろうかと申し出てくれたのだが、誰にも内緒で約束したことだったから、壮五は適当な理由をつけて丁重に断った。

 制服姿の環と並んで歩きたい。学校生活を送る彼のことは、壮五がどう足掻こうとも、すべてを知ることはできない。それでも、どうにかして制服姿の彼と少しでも同じ時間を過ごしたかった。彼といると、あれもこれもほしくなってしまって、自分の中にこんなにも貪欲な面があったのかと驚いてしまう。
 逢坂家の者として過ごしてきた日々で、叔父の音楽に触れる以外のことであれば、たいていは我慢できていたはずだ。叔父の死後も続く窮屈な日々の中、どうしても我慢できなくなったのが音楽で、家を飛び出し、アイドルとして歩み始めた。もしかすると、それをきっかけに、よくばりな自分が顔を覗かせるようになったのかもしれない。
 決め手となったのは、自分が今、待ち合わせをしている相手である、四葉環の存在。彼は壮五に、自分の内にあるものを言葉に出すことを教えた、いわば、壮五の世界を大きく変えた男だ。
「おまたせー」
 寒くなってきたというのに、彼は制服の上着の下にパーカーを着ているだけの、いつものスタイル。
「お疲れさま。寒くない?」
 お疲れさまと声を出した時にも、口からは白い息が漏れた。
「へーき。つか、そーちゃんのほうが寒そう」
 鼻が少し赤くなっていると指摘されて、慌てて手で鼻を覆う。鼻を赤くしているところを好きな相手に見られるなんて、恥ずかしいじゃないか。たくさん衝突してきたし、逞しい彼の腕に抱かれて泣き濡れた顔だって見せてきたが、仕事場に行くまでの、ほんの少しの間のデートくらい、格好いい自分を見せていたい。
 それなのに、鼻を覆った手を環に掴まれてしまった。
「うわ、手、ひえひえじゃん」
 そのまま、環の頬に手を添えさせられる。ついさきほどまで校内にいたからか、壮五の手を掴んでいる環の手も頬も、とてもあたたかい。
「環くんはあたたかいね」
 触れたところから、ぬくもりが伝わってくる。このぬくもりには、環の体温だけではなく、彼の優しさも含まれている。
「あー、教室ぬくかったからかも。そーちゃん、かなり待ったんじゃね? 着いたってラビチャ飛ばしてくれたら走ってきたのに」
「そんなに待ってないよ。環くんのおかげで手もあたたまってきたし、大丈夫」
 制服姿の環と歩くのが楽しみで、約束の時間より三十分も早く着いてしまった。……なんて言ったら呆れられそうで、壮五は適当に誤魔化した。実際には呆れるのではなく、心配するのだが、身体を重ねているとはいえ交際期間はまだまだ短いこともあって、環の思考回路を完全には理解できていない。それに、早く着いたことを連絡しなかったのは、学校の友人たちとの関係を大切にしてほしかったから。

 本当はもう少しこうしていたいけれど、ここは外。その上、自分たちはこのあと、仕事場に向かわなければならない。今、目の前を通り過ぎた学生カップルのように手を繋ぐことはできないのだ。それでなくても、MEZZO”の四葉環と逢坂壮五が校門前で佇んでいるというだけで注目の的。そこに、壮五が環の頬に触れているなんて、SNSのネタとして格好の餌食だ。
 名残惜しさを感じながらも、壮五は自分から手を離した。
「あ」
 頬に触れていた体温が離れたことに、環が声を漏らす。その瞬間の表情が残念そうだっただけで、壮五にとってはじゅうぶんだ。
 しかし、環はそうではなかったらしい。壮五の手を掴むと、駅に向かって、ずんずんと速足で歩き始めた。
「ちょっと、環くん!」
「……仕事だから急いでるふり……したら、これくらいしたって変じゃねえと思う」
 あぁ、ゆっくり歩きたかったのに。
 それでも、繋いだ手を離すほうが惜しくて、壮五も、環のスピードに合わせて歩を進めた。


    《ひとこと感想》

     



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