夏祭り

「近場だし、大丈夫だよ」
 いつもなら「もしも騒ぎになったらどうするんだい」と言いそうなものなのに、今日の壮五は珍しく、環を制止しなかった。
「まじで? いいの?」
 よっしゃ! と喜ぶ環に、壮五は小さく微笑んだ。
「おいで環くん。浴衣着せてあげる」
 自分より背の高い環の着付けをしながら、これからの予定に心躍らせていたのは、壮五のほうだった。
(ふーん? そーちゃん浮かれてんなー)
 思っていることを言葉にできないことがまだまだ多いものの、いつも隣で見ている環には、壮五が少し浮かれていることくらい、お見通しだ。言葉にして言ってくれればもっといいのになぁと思いながらも、環は、おとなしく浴衣を着せられていく。帯を締めるために環の身体に腕を伸ばす壮五を見て、なかなかにいい眺めじゃないかと感じた。まるで、抱き着かれているようだ。
 いくら夜とはいえ、さすがに素顔のままで出歩くわけにはいかない。二人とも眼鏡をかけ、環に至っては、髪を結われてしまった。ヘアゴムで軽くまとめている状態ではすぐに見つかってしまうからと櫛を構えた壮五が本当に楽しそうで、準備にあまり時間をかけたくないタイプなのに、壮五にされるがままになることを選んでしまった。やはり、惚れた弱みなのだろう。年上の恋人がこんなに浮かれているところは、普段、あまり見ることがないから。かわいくて、つい、許してしまった。
(あ、うそ、やっぱ違う)
 音楽の話をする時の壮五はとても楽しそうだ。見ていてこちらもどきどきする。知識が豊富なこともあって難しい言葉も出てくるから、その都度質問をしてしまうのだが、いやな顔ひとつせず、丁寧に答えてくれる。その時も、浮かれた表情だ。そこまで思い返したところで、急に心許なさを感じた環は、寮の玄関で下駄を履きながら、ぽつりと呟く。
「……なぁ、そーちゃん。今、楽しい?」
 大好きな音楽の話をしている時と同じくらい、自分とのデートも楽しいと思ってくれているだろうか。日頃、ベッドの中で自分にしがみつきながら「好き」と言ってくれるけれど、それでも、こうして聞いてしまう。
 名前を呼ばれて振り返った壮五の瞳には、少し自信なさげな環の表情が映っていて。
「当たり前じゃないか」
 ふわりと微笑むきれいな恋人に、心がきゅうっと締め付けられる。
(なんか、今日のそーちゃん、いつもよりかわいい)
 いつもきれいでかわいいけれど、少し浮かれている壮五はもっときれいでかわいい。

 履き慣れない下駄に足指を痛めてしまわないか、いささか不安を覚えつつ、二人はゆっくりと露店を巡った。壮五の言う通り、人が多いものの、皆、目の前の露店と自分の友人や恋人、家族に夢中。誰も自分たちには気付いていないようだ。
 この場にいる者すべてが浮き足立っている。雰囲気にのまれたこともあって、目に付いたものをあれこれ食べてしまった。メンバーに「夕食はいらない」とあらかじめ言っておいたのは正解だったようだ。浮かれているのは壮五も同じらしく、今は隣でかき氷を食べながら「頭がきんきんするね」とはにかんでいる。
「そーちゃん、べーってしてみ。べー」
「ん? べー?」
 ラムネ風味と書かれてあった味を頼んだのに、口の中はいやに甘ったるい。
 着色料がたっぷり付いてしまった舌を見せながら環が言えば、壮五もつられて、口を開く。控えめに開かれた口から覗く舌は、水分を取ったばかりでてらてらと光っていて、環は思わず、視線を逸らしてしまった。
「……今の、やっぱなし」
 壮五は環と違って、色のない、みぞれ味を選んでいた。俺だけ舌が染まってんの、格好悪くね? と、自分の上顎に舌を擦り付けて、色を落としてしまえないかと、口をもごもごさせる。
「環くんの舌、青くなってる。ふふ……」
「ラムネ味食べたからだし。でもすっげえ甘い」
 こんなことなら、かき氷は我慢して、王様プリンを食べればよかった。
「そりゃあね、かき氷はどの味を選んでも、味は一緒なんだよ」
「はぁ? なにそれ!」
 思わず声を上げた環を、壮五は露店の脇道に引っ張り込んで「静かに」と窘めた。いくら夜で人が多いとはいえ、自分たちはテレビや雑誌に出ている立場。特に、環の声はよく響くし、特徴的だ。背も高いから目立ちやすい。
「まぁ、中には、抹茶とか、ちゃんと本物の味がするものもあるけど、露店で食べるかき氷の多くは、着色料と香料で味が分けられてるんだよ」
「なんだよそれー……騙された……」
 同じ冷たいものでも、瓶入りのラムネを飲んだほうがよかったかもしれないなと環は思う。よし、思い立ったが吉日。今から買いに行こう。
 環は再び、露店のあるほうへと歩を進めようとした。しかし、壮五が浴衣の袖を軽く引いて、それを止める。
「なに、そーちゃん」
 内緒話をするように口許に手を当てていたので、なにごとかと思い、耳を近付ける。
「もうちょっとだけ、ね。ここで、二人でいよう?」
 夏の夜の暑さに、少し汗ばんだ肌。人混みで少し疲れたのか、気怠く見える。
(かわいいっていうか、……エロい)
 ひとことで言えば、いつもより色香の強い壮五にあてられて、彼のことを一刻も早く抱きたくなってしまったのだ。寮に帰ったら、セックスがしたいと誘ってみようか。
「きゅーけーすんのはいいけど……いいけど、あー……」
 果たして、寮に帰るまで我慢できるだろうか。浴衣が乱れてしまった時の直し方を、教えてもらったほうが、いいかもしれない。
「環くん?」
「なんもねえ、……です」
「ふふ、なんだ、それ」
 ころころと笑うさまも、恋人関係になってからよく見るようになったものだ。
「……あんたが悪い」
「えぇ? 心外だ……ちょっ、んん」
 周りを少しだけ見回して、人が来る気配のないことを確かめる。きらきらと明るい露店から少し外れた脇道は暗くひっそりとしていて、あちらとこちら、まるで、違う世界のよう。
「……そういう顔。そんなつもりなくても誘ってんのかなって思うじゃんか」
 暗闇の中、露店からこぼれてくる光が、壮五の濡れた唇を照らす。
 言外に欲情してしまったのだと告げられて、壮五の頬がぶわりと赤く染まった。
「環くん、ここ外……」
「わかってっし!」
 あぁ、キスするんじゃなかった。外でこんなことをしてしまって、おあずけを食らうことにでもなったら堪えられない。
「ごめん、ごめんね。えっと、……帰る? 僕もね…………」
 誰も聞いていないのに耳許で囁かれた言葉には続きがあって。
「…………そーちゃんのエッチ」
「きみに言われたくないよ」


    《ひとこと感想》

     



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