かわいいひと

 高校生である一織と環は、先日まで期末試験真っ最中だった。芸能活動に理解のある学校に通っているとはいえ、試験を蔑ろにすることはできない。投稿できない日が他の生徒より多いぶん、定期テストの成績と追加で出される課題がものをいうからだ。しかし、日頃から予習・復習を欠かさない一織が今更定期テスト程度で慌てることはなく。どの教科においても答案用紙を埋めるのには苦労せずに済んだ。
 クラスメイトの中には、試験期間が終わった解放感から早くも夏休み気分に浸っている者もいる。しかし、世間で言うところの夏休みシーズンといえば、アイドルにとって、年の瀬に次ぐ多忙な時期。IDOLiSH7の一員でありながらマネジメント業務にも秘かに携わっている一織にとっては、いつも以上に忙しい日々となってしまった。
 仕事が忙しいというのはありがたい。IDOLiSH7の活躍の場が広がれば、そのセンターである七瀬陸の歌声をもっとたくさんの人に聞かせられるからだ。
 ――そうはいっても、恋人に触れられない日々がこうも続くと、さすがの一織も、地味に堪えてしまう。
「七瀬さん……、七瀬さん?」
 久々に二人きりの夜を迎えた今夜。柄にもなく、がっついてしまったのはそのせいだ。
 達したあと、そのままシーツに身を投げ出して動かない恋人を見て、しまった……と数分前までの自分のおこないを振り返る。自分を律することにおいては、人より慣れているはずなのに、初めて歌声を聞いたあの日から、彼に対してだけ衝動を抑えられない。大事にしなければと思う反面、歯止めがきかない時があって困る。
 頬に手を滑らせると、陸の瞼がゆるりと開かれた。
「あれ、オレ……」
「あぁ、よかった。すみません、私としたことが」
 がっついてしまいました。そう続けるつもりが、陸によって遮られる。
「ん……一織が謝るの禁止」
 愛らしいリップ音を立てたくちづけはすぐに離れていく。自分が誘ったのだからと小声で付け加えられ、一織は自分の顔が熱くなるのを感じた。陸のこういうところに弱い。
「まったく……あなたという人は……」
 かわい過ぎる。一織は元来、かわいいものに弱い。恋人のかわいさとなると格別だ。なによりもかわいいと思う。
「ね、それよりさ、そろそろだよ」
 時計に目を向ければ、間もなく零時になろうというところであった。
 陸の誕生日、せっかくなら二人でその瞬間を迎えたいという本人の希望により、他のメンバーの目を盗んで、こうして一織の部屋で過ごしている。
 一織の部屋のベッドはロフトベッドで、二人で過ごすには不便だ。それでも一織の部屋にしたのは、そのほうが誰にも邪魔されずに済む可能性が高いと踏んだから。一織は日頃から、ノックもなしに人が立ち入ることをひどく嫌がっていて、他のメンバーもそれをよくわかっているから、陸との時間を邪魔される心配はない。
 自分たちの関係について名言したことはないものの、大和や環あたりは勘付いているかもしれないなと一織は思っている。確かめようにも、自分からぼろを出すような質問をするわけにはいかないから聞かないだけで。
 恋人と部屋で二人きり、しかも陸の誕生日というイベント直前となれば、そういう雰囲気になるのも当然といえば当然のこと。そのうえ、かわいくてたまらない相手が自分の部屋にいるだけでも煩悩に苛まれてしまう。もっといえば、最近は多忙で、二人きりの時間を過ごすか機会がなかなかもうけけられなかった。そんなさまざまな要素から、一織が理性を崩されるまでは、あっという間だったのである。

 間もなく陸の誕生日。汗ばんだ肌に情事の名残りを感じつつ、秒針を目で追った。部屋の時計を電波時計にして正解だったと一織は思っている。あと三秒、二秒、一秒……。
 秒針がゼロを指し示すとともに、誕生日を迎えたばかりの陸の身体を抱き寄せた。
「誕生日、おめでとうございます」
「へへ、ありがと」
 照れくさそうに笑う陸が、やっぱりとてもかわいくて。一織は心臓がきゅうきゅうと締め付けられるのを感じた。構い倒したくなるなんてかわいいレベルじゃない。そりゃあ、初めはそうだったかもしれないけれど、今、抱いているこの感情は、間違いなく、恋しさだ。他の誰にも抱いたことのないもの。
 陸へ抱いている感情の正体を初めて自覚した時。一織は、自分たちの置かれている状況を考えれば気持ちに蓋をすべきだと判断した。一織らしい、賢い判断だったと思う。しかし、それを許さず、自分に見せてほしいと願ったのは、ほかでもない陸本人。一織のそれって、蓋をしてどうこうできる程度のものなの? そう言われて「そんな生易しいものじゃないです」と、声を荒げてしまい、己の煽り耐性のなさを痛感することとなった。
 その時から、一織にとっての陸は、絶対に敵わない相手となったのだ。これを、世間一般では、惚れた弱みという。
 その惚れた相手の誕生日に、どのようなものを贈るべきか決められないまま、当日を迎えてしまった。
「七瀬さん、なにか、……その、リクエストとかありますか」
 リクエスト? ときょとんとする陸に、思わず「またそんなかわいい顔をして」と呟きかけ、すんでのところで踏みとどまった。せっかく恋人として誕生日を祝っているのだから、今日くらいは、スマートな対応を心がけたい。
「プレゼントかぁ……あ! じゃあ、一織。一織をちょうだい!」
 さきほどまであんなに深く身体を繋げていたのに、一度じゃたりないと誘われているのだろうか。それって、一織にとってはご褒美でしかないのでは? 未だ素肌を晒している恋人からそう言われて無反応でいられるほど、堅物ではない。健全な男子高校生だ。腹の奥底から欲が顔を出そうとしているのを、一織は必死で押しとどめた。
「……あまり無理は」
「一織のえっち」
 至近距離で顔を覗き込まれ、陸の言葉を、いかがわしい意味で受け取っていた自分のことが恥ずかしくなる。しかも、陸本人にばればれだなんて。これでは、ただのすけべじゃないか、と一織は口籠ってしまった。いい切り返しができないか考えてみようとしても、横から陸の手が伸びてきて、思考に集中できない。
「ちょっと、七瀬さん」
 完全に負けてしまう前に、と陸の手首を掴んで阻止する。明日は昼過ぎからとはいえ、全員での仕事が入っているのだ。陸の身体を思えば、これ以上の無理はできない。陸の手を阻みながら、一織は頭の中で数式を並べた。こういう時は素数を数えるものだと聞いたことがあるけれど、果たして、効果のほどは。
「えぇ……だめ?」
「……っ、そんなかわいくおねだりしてもだめです。だいたい、こういう意味での私ではないんでしょう?」
 自分はてっきりこういう意味だと受け取ってしまい、恥をかいた。すけべ、と言われたことから、陸の言う「一織をちょうだい」は別の意味と考えたほうがいい。それでも、こう尋ねるのにはなかなかに抵抗があった。自分のことをほしいと言っている相手にその意図するところを質問するなんて、とんだ羞恥プレイだ。
「んー……両方?」
 陸はそう言うと、もう片方の手で、一織の胸許を指先でとん、とつつく。たったそれだけの仕草で、本来の意図するものがなんであったかがわかってしまい、ぶわりと顔が熱くなった。
「なにを恥ずかしいことを……」
 ここから鏡は見えないけれど、今、確実に赤面しているという自覚がある。部屋が薄暗くてよかった。これが、昼間だったり、部屋の灯りが煌々とついていたりしたら、隠し切れなかっただろう。
「はは、一織、照れてる?」
「照れてません! ……ばかなこと言わないでください」
 陸が隠し通そうとしていた体調のことを誰よりも早くに気付くほど、初めてその歌声を聴いた時から、視線も心も、とうに陸に奪われている。それなのに、これ以上、なにをほしがるのだろう。
「くれないの?」
「そんなの、とっくにそのつもりでしたけど」
 一織は気恥ずかしさから、陸の顔を直視できない。顔は今も赤いままだろうから、そんなところを見られたくなくて、陸から見えないように、もう一度その身体を抱き締めた。
「そのつもり? とっくに……って、いつから?」
 耳許で囁かれるように投げかけられた、陸の疑問。
 元々、二人が今のような関係になったのは、一織が抱いている気持ちに陸が気付き、口を割ろうとしない一織に陸が詰め寄ったことがきっかけだ。収まるところに収まったような状態で始まった関係。しかし、どうして一織は自分を好きになったのかという点を、陸は聞けないままでいる。
 普段の生活の中で、一織からの愛情を疑ったことは一度もない。視線ひとつとっても、陸のことが好きだと物語っている。時折見せる照れた態度はもっとわかりやすい。
 一織は隠せていると思っているようだけれど、二人の関係は、交際開始後、すぐにメンバーの知るところとなった。大和曰く、寮の中での一織の態度がわかりやすいだけで、外ではこれまで通りだと言う。外で問題がないのであれば、このままでいたい。そう訴える陸に、大和はもちろん、他のメンバーも否定的な意見を言うことはなかった。一織と陸はこれまで何度か衝突を繰り返してきた。時間がかかったことも、周囲を巻き込んでしまったこともあった。その都度、絆を深めてきたのだ。それはメンバーの誰もがよく知っている。だから、二人なら大丈夫だろう、……それが、メンバーの総意。
 もしも一織が暴走するようなことがあれば、止められるのは陸だけだから、陸が気を付けてやってくれ。そう言ったのは、一織が生まれた時から彼のことを知っている三月。大切な恋人の兄からそう言われて首を縦に触れないようでは、男がすたる。迷いなく頷いた陸に「りっくん、かっけーな」と唸ったのは、学校での一織をよく知る環だ。
 メンバーから格好いいと言われるのももちろん嬉しいけれど、やっぱり、恋人に言われたい。陸は一織の答えを期待して、瞳をきらきらと輝かせた。歌っているところが格好いいとか、カメラに向けるまなざしが格好いいとか、そんな答えを期待して。
 しかし、陸の予想に反し、一織の返答はあいまいなものであった。
「いつから……って、どうでしょうね」
「はぁ?」
 一織のことだから、何月何日何曜日、こういうことがきっかけです……くらいの返事がきてもおかしくないと思っていた。陸は思わず、間の抜けた声を上げてしまう。
「だって、そんなの、わかるわけないでしょう。あなたのことは……初めて歌声を聴いた時から、目が離せないんですから」
 歌声を褒められたことは初めてではない。むしろ、人前で歌うようになってからは何度も称賛の声を浴び、それを自信へと変えてきた。一織からも、必ずスーパースターにしてみせるとまで言われている。改めて言われると、とても照れくさい。しかし……。
「歌声だけ?」
 それって、アイドルとしての七瀬陸に対するものでは? 一個人として見てくれているのか? 陸は眉間に皺を寄せる。
 火傷しそうなほど熱い色をした瞳に見つめられ、一織は観念したように言葉を続けた。
「……初めは、そうでした。でも、いつからでしょうね。本当に、わからないんです。あなたときたら、無茶ばかりして、目が離せない。私の性格を考えれば、本来、七瀬さんのような人とは合わないはずなんです。想定外でしかありません」
「もしかして、オレ、貶されてる?」
 いつから好きになってくれたのか聞いているはずなのに、無茶ばかりとか、合わないはずとか……喜べる言葉が出てこない。
「あぁ、もう……どうしてそうなるんですか。あなたはわたしを狂わせてばかりなんですよ。大抵のことはうまくこなしてきた私がこんなありさまなのは、あなたの前でだけなんです。でも、それが心地いい。わかりますか?」
 一織にしては珍しく抽象的な表現だな、と陸は思った。
「正直、よくわかんない。でも、頭のいい一織が上手く説明できないくらいには、オレに夢中になってくれてるんだなぁってのはわかった」
 そう言って嬉しそうに微笑む陸を見て、一織はまた照れてしまう。表情がくるくる変わる陸から目が離せない。笑った顔はいつだって、花が開いたように鮮やかだ。ひとつしか変わらないけれど、年上のこの人を、とてもかわいいと思う。
「ばっ……、か、ですか……」
「また照れてる。一織ってたまにすごくかわいいよな」
 いつもは生意気でかわいげがないけど。……と付け加える陸の唇を、一織が塞ぐ。
「もう、黙ってください」
「ずっと黙ってたほうがいいの? 一織がなにしても?」
「……ほどよく、感じていただけると、嬉しいです」
 軽く咳払いして、一織は陸の身体に覆い被さった。

 直接触れた肌は熱く、さきほどまでの情事をすぐに思い起こさせ、陸はぴくりと身体を震わせる。
「んっ……、ほどよく、なんて無理かも…………」
 多分、めちゃくちゃ感じてしまうと思う。陸はそう呟いた。
「私としては、願ったり叶ったりです」
 にやりと笑う一織を見て、あぁ、スイッチが入ってしまった、と陸は感じた。
 日頃、陸の体調を誰よりも気遣っているはずの一織でも、時折、スイッチが入る時がある。今夜の一度目だって、そうだった。
 一度目の時にゆっくりと時間をかけて解しておいたからだろう。ローションを少し垂らせば、再び受け入れられるようになるまで、そう時間はかからなかった。それでも、一織のペニスをすべておさめきった時の圧迫感は拭えない。
「七瀬さん、大丈夫ですか」
 は、は、……と息を荒げる陸が発作を起こさないよう、陸の耳許でゆっくりと深呼吸をする。自分の呼吸に合わせて、落ち着いて。そう願いを込めて。少しの間そうしていると陸も落ち着いてきたのか、潤んだ瞳で一織を見上げた。一織の背中に腕を回し、ほんの少しだけ、腰を揺らめかせる。
「もう、平気だから……ね」
 それとともに一織を包み込む中が蠢き、思わず、息を詰めてしまった。さすがにこれだけで射精に至ってしまうわけにはいかない。
 一織が眉を顰めていると、陸が「はやく」と唇を動かす。唇の動きだけでねだられたそれは、一織を煽るにはじゅうぶん過ぎて。たったそれだけで頭の中がかっと熱くなってしまうくらいには、一織は、陸に夢中だ。
「あなたって人は……」
 なんて、たちが悪いのだろう。かわいい、愛おしい。
 さっきだって、こうして煽られたこともあって、がっついてしまった。大切にしたいのに、時折、無性に、乱暴にしたい衝動に駆られてしまうことがある。こんな自分は知らない。自分はもっと理知的な人間だったはずだ。
 七瀬陸との出会いによって、和泉一織は変えられた。
「はっ……」
 高い声を上げそうになって、陸は自分の手で口許を覆う。一織の部屋は角部屋にあたるとはいえ、部屋の前を誰かが通らないとも限らないのだ。深夜、日付が変わって少し経つけれど、メンバーがまだ起きていてもおかしくない時間。
 陸の喘ぐ声はもちろんのこと、声を我慢しようと必死になっている姿も、かわいくて好きだ。時折我慢しきれなくて「ふ、ふ……」と息が漏れ聞こえるのがたまらない。
 一織の身体の下では、陸のペニスもすっかり勃ち上がり、身体の動きとともにぷるぷると揺れている。その様子を見て、一織にいたずら心が湧いた。ゆっくりと、ぎりぎりまでペニスを引き抜き、喪失感から陸が肩を震わせたのを見届けてから、勢いよく、奥まで突き入れる。
「んあぁっ……!」
 ひときわ甘い声を上げた陸のペニスから、びゅる、と精が放たれる。陸の射精とともに後孔がきゅうっと締まって、一織は、自分までもが吐精しそうになるのを、すんでのところで耐えた。
「は、……ところてん、というやつですね…………」
 射精後の余韻で内腿を痙攣させている陸に、その声は届いていないようだ。もっとも、陸がその言葉の意味を知っているとも思えないけれど。
 自分の腹が濡れていることに気付いた陸は、その手を下腹部へと這わせた。指先にぬるりとしたものが触れ、そこでようやく自分が射精してしまったことを自覚したのか、顔を赤らめる。その仕草を見て、陸の腹の中に今も収まっている一織のペニスが、さらに質量を増した。
「えっ、なんで、大きく……」
「……七瀬さんのせいです」
 蕩けた表情で一織のペニスを受け入れながら、その腹に手を這わせるなど、なんという煽り方をしてくれるのだろうか。しかも、恐らく本人は無自覚でこれをやっているのだからたちが悪い。
「んん、ちょっと、あっ……」
 律動が再開されたことで、咎めようとした声も濡れた吐息へと変わっていく。浅いところで抜き差しを繰り返しながら、前立腺をとんとんと突いてやると、陸の声がひときわ高くなった。今夜、既に二度達したペニスも、前立腺への刺激によって、赤く勃ち上がっている。ここをきゅうっと握り込むと、一織のペニスを咥え込んでいる後孔が締まった。
「あぁ、ほら、締め過ぎですよ。奥まで挿れられないじゃないですか」
 後孔の縁を指先でなぞると、陸がいやいやと首を振る。心配しなくても、ペニスを咥え込んだところに更に指を挿れるなんてことはしないのに。
「ひぁ、あ、も……わかんな、……」
 真っ赤な瞳が潤んでいて、瑞々しい苺のよう。身を屈めて目尻をついばむと、涙の味がした。そのままキスをしてもらえると思ったのか、陸が腕を伸ばしてくるものだから、たまらなくなって、唇にかぶりつくようにくちづける。色っぽく舌を絡める余裕なんてなくて、ただ夢中になって口の中を舐め回した。
「んあ、……ん…………」
 陸が発作を起こさないよう、キスをする時には細心の注意を払っている。初めの頃は加減がわからず、控えめにしていた。それが、キスをすることに慣れた今では、セックスの真っ最中、理性が焼き切れかけた状態であっても、陸の呼吸に影響を与えないぎりぎりのところを熟知するまでになっている。
 キスを繰り返しているうち、一織の身体の角度が変わっていたのだろう。身体の中に咥え込んだ一織のペニス、その先端が当たる場所が変わって、陸は「んん」と声を上げた。
「あなたの中、どこもかしこも感じるなんて」
「あっ……」
 唇を離し、陸の腹を撫でた。この中で、自分の昂ったものを懸命に咥え込んでくれているのだ。初めの頃は快感を拾うのが難しく、陸のペニスを愛撫しながらでなければ、彼は達することができなかったのに。
「ふふ、これではまるで性器ですね」
 言い表せられないくらいの征服感に、頭の中が熱くなる。
 一織も陸も互いが初めての恋人で、もちろんセックスをするのも互いが初めてだ。一織も陸も女の身体を知らないけれど、多分、女のそこよりも陸の身体の方がずっとずっと淫らで、一織のペニスを最高に気持ちよくしてくれる。本来は男のペニスを受け入れる器官ではないのに、こんなにいやらしいなんて、立派な性器じゃないかと思う。
 いつだったか、セックスをしている最中の一織はねちっこいと陸に言われたことがあった。言葉で辱めてくる、その内容がひどくいやらしくて、ねちっこいのだと。それを聞いた時はなんて失礼なことを言う男なんだと呆れたものだけれど、言われてみれば確かに、今の自分はねちねちと恥ずかしい言葉をわざと並べ立てようとしてしまっている。
「七瀬さんは、奥も好きですよね」
 再び、ペニスをぎりぎりまで引き抜いて、雁首が後孔の縁に引っかかりそうになったところで勢いよく突く。陸の背に腕を回して抱き寄せ、大きく腰を振るのではなく、今度は中に挿れた状態のまま、ゆさゆさと揺さ振った。
「ほら、わかりますか? とんとん、って。奥に当たってますよね」
「も、むりっ……」
 あぁ、半分意識が飛びかけている。陸の様子を見て、今夜はそろそろ終わらせたほうがよさそうだと判断した一織は、ラストスパートと言わんばかりに腰の動きを速めた。
「あっ、あ、だめ、イッちゃう、イク、イクイク、あっ、ア、あぁぁぁっ」
「……っく、…………」
 陸が達する瞬間、締め付けが一層強くなり、一織も薄膜越しに精を放った。

 ◇

 二人で過ごすのは久しぶりだったということもあり、一織としては柄にもなくがっついてしまったけれど、陸にとっては、それも計画のうちだった。
 誕生日を迎える時くらい、一晩中、好きな人の傍にいたいじゃん。素直にそうねだれば一織はもごもごと独り言を呟きつつも傍にいてくれただろう。でも、できれば、ねだらなくても与えられたいと思った。今日は誕生日、自分は主役だから。
「おはよう、一織」
 自分の思う最大限の大人っぽさでおはようと言ったのに、一織の返事はいつもと大差ないものだった。
「あなたは朝から元気ですね」
「一織は相変わらず目が開いてない。格好よくない一織だ。それよりさ、今のオレ、どうだった? 昨日のおはようよりも大人って感じした?」
 昨晩の甘さが続くことを期待した瞳。しかし、一織の寝起きの悪さは、甘い雰囲気からはほど遠い。
「一日で大きく変わりませんよ。それに、大人がどうとかは中身が伴ってから言ってください」
 相変わらずかわいくないやつ。陸はそう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
 誕生日に恋人と言い合いなんてしたくない。それに、今から言ってみたい我儘があるから、機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「というか、いくらなんでも早過ぎでしょう」
 時刻は朝五時半。仕事は昼過ぎからだから、もう少し眠ったっていいのでは。
「んー……せっかくだし、シャワー浴びたいかな」
 昨晩の行為の後に一織が身体を拭いたとはいえ、気怠さは今も肌に残っている。
「では七瀬さんが先にシャワーをどうぞ」
「えっ、一緒に行こうよ」
 寮の風呂場は数人程度ならじゅうぶん入ることができる広さだ。洗い場も複数あるし、浴槽も大きめにつくられている。昨晩、あんなにべたべたしたのに、朝になったら風呂は別々だなんて。
「ちょっと素っ気なくない? ……一織は、オレと入るの嫌?」
 瞳を潤ませて尋ねれば、日頃から陸の愛らしさに心穏やかでいられない一織から「嫌なわけないでしょう」と答えを引き出すのは容易いことだった。
 ひとつ大人に近付いた朝、恋人と入浴する。これが、陸の言ってみたい我儘だった。

 浴槽の湯は昨晩のうちに抜かれていたため、二人ともシャワーのみで済ませる。
それでも、一織に髪を洗ってほしいとねだったり、互いに背中を流し合ったり、じゅうぶんに楽しいひと時であった。
「あぁ、ほら、早く乾かさないと」
 一織の部屋に戻ってからも、陸は頭にタオルを被ったまま。
「わかってるって。……って、なに、え、一織どうしたの?」
「あなたに風邪を引かれると困りますから、乾かして差し上げますよ。特別にね」
 一織はそう言うと、ドライヤーのスイッチを入れた。
「……もしかして、誕生日だから甘やかしてくれてる?」
 ドライヤーの熱風にかき消されそうになりながら尋ねると、頭上から、軽い咳払いが聞こえた。どうやら、図星らしい。ドライヤーの音で聞こえないのをいいことに、陸はくすりと笑った。一織は相変わらず素直じゃない。もう少し素直になっても、罰は当たらないだろうに。まぁ、でも、ちょっと憎たらしいのがかわいいんだけど……と、だんだん、口許がにやけてしまいそうになる。
「ほら、乾きましたよ」
 乾かし終えたばかりのふわふわの髪は、一織のお気に入り。いつものさらさらと指通りのいい髪だってもちろん気に入っているけれど、ドライヤーの風を浴びたばかりのふわふわとした髪に触れることができるのは、一織だけ。
「うん、ありがと、一織!」
 こうして素直に礼を言えるのは、陸の長所だと思う。一織だって、礼儀として感謝の言葉を述べることはできるけれど、陸のように表情に表すことまではできない。理由は明確で、単に、照れくさいのだ。素直さという、自分にないものを持っている陸は、一織にとって羨ましい、憧れの存在。そう思ったら、たまらなくなって、陸の身体を抱き締めた。
 突然抱き締められて戸惑ったものの、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる一織がなんだかかわいくて、陸は、一織の背中に腕を回し、あやすように背中を撫でた。
「……子ども扱いしないでもらえますか」
 少し拗ねた口調の一織。
(でも子どもじゃん、特にそういうとこ)
 声に出して言うと拗ねてしまうだろうから、心の中でそう返した。でも、拗ねてしまうところもかわいいな、と陸は思う。もちろん、陸にとっての一織は格好いいところのほうが多いのだけれど、それを本人に言うと照れてしまうだろうから、これも内緒。

 ◇

 一月から順番に毎月おこなわれていたメンバーの誕生日会、最後は陸の番だ。
 昼過ぎから全員での仕事があったものの、遠方でのロケじゃなくてよかったと、誰もが安堵していた。ちょうど夕食くらいの時間に、寮に戻ってくることができたからだ。
「誕生日おめでとう!」
「ありがとう。うわぁ、すっごくおいしそう!」
 本日の主役が目を輝かせて見つめるケーキは、フルーツがたくさんのった、三月お手製のもの。昨晩遅く、こっそりとつくっていたらしい。環とナギも手伝ったと主張しているけれど、環曰く、ナギは味見をしていただけとのこと。
 ろうそくに火を点けようとしたところで、一織が「あ」と声を上げる。少量とはいえ、煙が立ってしまう。陸の身体に問題はないだろうか。
「大丈夫だって。消したらすぐにろうそく抜けば問題ないよ」
 一織が懸念していることを察したのか、陸がそう答えた。今でこそメンバーの誰もが知ることとなった陸の持病。本人がひた隠しにしようとしたそれに一番初めに気付いたのは一織で、ことあるごとにこうした配慮をしようと一番初めに動くのも一織だ。しかし、どこまでが大丈夫かのボーダーラインは陸本人が一番理解している。
 せっかく三月がつくってくれたケーキなのだから、誕生日ケーキらしくろうそくが立っているところも写真におさめたい。陸がそう言うのなら……と、ろうそくに火が点けられた。部屋の灯りが消される前に、陸はスマートフォンのカメラアプリを起動する。
 真正面から二回、角度を変えて一回ずつ。ケーキの後ろ側に回り込み、一織に頼んでケーキの後ろでピースサインをきめた自分を写真に撮ってもらう。
「撮れた?」
 一織の手許を覗き込み、写り具合を確認する。納得の出来だったのだろう、陸が大きく頷くと、ナギが部屋の灯りを最小限まで落とした。すっかり過ごし慣れた小鳥遊事務所の寮、そのリビングで開催される、陸のためだけのステージ。披露する曲はもちろんハッピーバースデー。ペンライトの代わりに、ケーキに立てられたろうそくの火が陸を照らす。
 歌い終わりとともに陸は軽く息を吹きかけ、七つの炎は跡形もなく消えた。煙を感じるより早く、ろうそくが撤去される。次いで、部屋の灯りが元通りになり、その眩しさに少しだけ目を細めた。
「切るのもったいないなぁ」
 きれいにデコレーションされたケーキにナイフを入れるのは忍びない。名残惜しくて、もう数枚、ろうそくを立てていた穴が七つ並んだケーキを写真におさめる。SNSにもアップしようと決めて、写真加工アプリでフィルタをかけたり、きらきらしたデコレーションパーツを並べたり。嬉しさから、ちょっと盛り過ぎたかもしれない。試行錯誤している間にケーキは切り分けられていた。
「おーい、陸。食うぞ」
「あっ、うん。わかった!」
 SNSの投稿画面に写真を添付し、誕生日のタグ、メンバーへの感謝の気持ちを述べたタグをいくつか並べる。誤字がないことを確認して、投稿ボタンをタップした。
 誕生日当日、メンバーで祝っていることがわかる投稿は瞬く間にシェアされるに違いないけれど、その反応を追うのはあとでもできる。今は、メンバーとの大切な時間だ。
「それじゃあ、陸の誕生日を祝って……乾杯!」
「乾杯!」
 ジュースや炭酸飲料、紅茶、コーヒーなど、各々好きなものを飲んでいる。ビールを飲もうとする者もいたけれど、ケーキにビールはどうなんだという意見により却下された。
 もったいないもったいないと言われたケーキは、この場にいるのが食べ盛りの男たちということもあって、あっけなく皆の口の中へ消えていく。それでも、本日の主役である陸は、ゆっくり味わって食べたいようで、なかなか手をつけられずにいた。
「七瀬さん、食べないんですか」
「うーん……あ、そうだ、一織。あーん」
 なにが「そうだ」なのか。名案が浮かんだような口振りだけれど、一織にとっては羞恥プレイでしかない。陸は口を開けて、一織に食べさせてほしいとせがんだ。
「くっ……」
 無邪気な表情をしてくれる……と一織は歯噛みする。瞳を閉じて口を開ける様子は、餌をねだる雛鳥のようだ。それでいて、赤い舌をちらりと覗かせているものだから、初めから深いくちづけをねだる情事が思い起こされてしまう。
「一織、主役は絶対だぞー」
 兄の言葉に、ごくりと喉を鳴らす。本人が待っているのだから、一口食べさせればいいだけのこと。顔を直視するから心臓によくないのであって……あぁ、かわいい……じゃなくて……。口を開ける陸を前に、一織はどんどん混乱していった。
 いつまで待てばいいのだろう。陸が薄っすらと目を開くと、案の定、一織が自分の中で葛藤を続けているのが視界に入って、思わず笑いそうになってしまった。照れてる一織、かわいいな。そう考えていると、一織に気付かれそうになり、慌てて瞳を閉じる。
「一織、まだ?」
「あ、あぁあああ……もう、あなたって人は……」
 小声でなにやら呟いた一織は、深呼吸をひとつ。覚悟を決めてから、フォークで突き刺した苺を陸の口許へと持っていった。苺が陸の唇に触れた瞬間、一織はびくりと震え、思わずフォークを落としそうになってしまった。苺の赤と、唇の赤。目を話すことができない。差し出された苺をぱくりと食べる様子は、まさしく雛鳥のそれで、一織の心がきゅうっとときめいてしまう。
「へへ、一織に食べさせてもらったからかな。すっごくおいしい!」
 この男はか……! と、一織は心の中で叫んだ。後光が差しているように見える。言葉にこそしないものの、一織は、恋人である陸のことを、誰よりも、なによりもかわいいと思っている。そんな陸が、自分が食べさせたからおいしいと言っている。本当なら、今すぐにでも抱き締めて髪を撫で、とろとろに甘やかしたい。誕生日だからではなく、プライベートでは毎日だって甘やかしたい……というのは、恥ずかしくて陸本人にも言えないでいる。
「……お口に合ったのなら、よかったです」
 んん、と咳払いをして、つとめて冷静に振る舞う。
 ケーキの主役である苺を恋人に食べさせてもらって満足したのか、陸は残りのケーキを食べることにした。ただでさえかわいいのに、かわいいものを食べている七瀬さんは、かわいいの権化だな……と、一織は自分の取り分を食べながら、惚けてしまう。
「ケーキ、本当にもうひとつ、オレが食べていいの?」
「いいって、リクが主役なんだから」
 八等分されたケーキ。七人で分けると余ることになる残りの一切れは、主役である陸のもの。
「そっか、ありがとうございます!」
 じゃあ遠慮なく! と、ふたつめのケーキを頬張った。
「あ、陸くん」
 壮五が自分の口許を指差しながら、生クリームが付着していることを教えてくれる。
「ん……あれ?」
 指で拭おうとした場所に、生クリームらしきものがない。指先をそわそわと這わせ、生クリームのありかを辿る。その様子を見ていた一織は溜息をついた。
(どんくさいな、でも、かわいい……)
「逆ですよ」
「あ、そっか」
 指摘され、反対側に指先を伸ばした陸の手を一織が止めた。
「え……」
一織の顔が至近距離にあると気付いた次の瞬間には、口許に濡れた感触。
「……まったく、あなたって人は。本当にどんくさいんですから」
 世話が焼けますね……という言葉とともに、一織の顔が離れていく。
 日頃から、陸のことを苺のように甘酸っぱいと心のどこかで思っていた。そして、陸の艶やかな唇の近くにクリームが付いていて、まるで、彼自身がケーキのように思えてしまったのだ。一織自身、自分らしくない考えだなと思う。
 一体なにが起こったのか。驚き過ぎて陸が理解できないでいると、ひゅー、と背後で環が口笛を吹いた。
「すっげー。ラブラブじゃん」
 環の言葉で我に返り、なにが起こったのかを瞬時に理解した陸は、かぁっと顔が熱くなった。口許に付いた生クリームを、あろうことか、一織が舐め取ったのだ。一織の性格を考えれば、紙ナプキンを差し出すだろうに。
 陸のその表情を見て、一織が陸以上に慌てだす。
「なに言ってんですか! ラ、ラブ、……とか、そんなわけないでしょう!」
 照れが勝って、ラブラブという単語すら言えない。今は誕生日会の真っ最中。主役に対しておこなわれた行為を、メンバー全員がしっかりと目にしてしまった。二人の仲はメンバーには秘密にしている。勘のいい大和や環あたりはもしかしたら気付いているかもという気がしなくもないけれど、それでも、一織としては、秘密にしているつもりだった。あぁ、それなのに、なんてことをしてしまったんだろう。
「否定すんなって。りっくん、よかったじゃん」
「うん! でも、一織って普段こんなことしないタイプだからびっくりしちゃった」
 躊躇いなく頷く陸に、一織は声にならない声を上げる。環の様子を見る限り、やはり、自分たちの関係はとうに知られているらしい。
「……イチ、まさかとは思うけど、誰にも知られてないなんて思ってないよな?」
 大和の言葉に、一織は「え」と言葉を漏らす。
「ワタシ、リクがイオリの部屋に入っていくのを何度も見ました」
「あー……多分それ、オレに気を使ったんだな」
 大和や環あたりは気付いているかもしれないと覚悟していたけれど、ナギと三月も、まるで以前から知っていたかのような口振りで話に加わってきて、一織は動揺を隠すことができない。後ろで聞いている壮五も、その表情を見る限り、とうに知っていましたと言っているようなもの。本人のあずかり知らぬところで実兄を含めたメンバーに恋愛ごとを把握されていることほど、気恥ずかしいものはない。
「言っとくけど、陸から聞いたんじゃないからな」
「自分ではわかってないかもしれないけど、一織くんって結構わかりやすいからね」
 一織は思わず自分の顔に手を当てる。そんなに顔に出ていただろうか。人前では、いつも通り接していたはず。言動にもじゅうぶん気を付けてきた。数分前、生クリームを舐め取ってしまうという失態を犯すまでは。
「安心しろ、俺たち以外、誰も気付いてない。マネージャーも、万理さんも知らない。多分、社長も知らないだろうな」
 大和はそう言って一織を宥めた。
 メンバー全員に知られていただけでもじゅうぶん衝撃だったけれど、外には漏れていないとのことで、ひとまず安堵する。今後は、これまで以上に気を引き締めなければ。
「……で?」
 いつの間にか、一織は、陸以外の全員に囲まれていた。本日の主役である陸を差し置いて、どうして自分が囲まれているのだろう。意味がわからなくて視線をうろうろと彷徨わせる。
「で、って……なんですか?」
「いやいや、すっとぼけるなよ、イチ。お兄さんたちに報告がなかったこと、これでも結構、傷付いてんだぜ?」
 大和が一方的に一織の肩を抱き、周りもそれを咎める様子がない。聞きたいことを聞くまで逃さないという状態だ。さながら、事情聴取をされているかのよう。
「そうそう。一織は昔っからお兄ちゃんっ子だったから、オレには教えてくれると思ってたんだけどなー」
「クラスメイトの俺に言ってくんねーのに、ヤマさんに言うわけねーじゃん」
 最年長と、実兄と、クラスメイト。一織にとって、一番、やりづらい組み合わせだ。
 どうしたものかと陸を見ると、ちょうど、視線がかち合った。思わず、自分は神に見放されていなかった! と声に出してしまいそうになる。
「あれ? 一織、なんで囲まれてるの?」
 きょとんとした顔でそう尋ねる陸に、あぁ、この表情が一番かわいい……と、こんな状況下でもときめいてしまう。
「かわいいなぁ……って顔に書いてある。だから僕たちに気付かれるんだよ、一織くん」
 ひょい、と顔を覗き込んできた壮五に、一織はまた、声にならない声を上げた。
「そーちゃん、いおりんがびびってる」
 一織から壮五を引き剥がした環に、今ばかりは感謝する。ナギや壮五のような美人が凄むと、その迫力から、背筋が凍るような感覚に陥るのだ。
 ケーキを食べ終えた陸が、一織の元へと歩み寄ってくる。一体なんなんだろう……そう身構える一織に落とされたのは、最強の爆弾。
「オレの一織のこと、あんまりいじめないでください!」
 一織を抱き寄せながら放たれた陸の言葉に、寮内が静まり返った。オレの一織って言った……オレのだってさ……と誰からともなく声が漏れる。
 一織は、はっと我に返った。
「……っ、恋人だからって、恥ずかしいこと言わないでください!」
 高らかな恋人宣言。一織のその発言が、全員の冷やかしを浴びるはめになる。


    《ひとこと感想》

     



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