苺月

「ストロベリームーン?」
 天気予報のあと、気象予報士と番組キャスターが口にした言葉に聞き覚えがなく、疑問がそのまま声に出ていた。画面の向こうには今の時間の空がリアルタイムで映し出されており、番組キャスターが「あと二十秒で番組が終わります。見えるかなぁ……あぁ、見えませんね、残念」と切実な言葉を漏らしている。一体なんのことなのかわからないまま、番組は終わってしまった。
「夏至付近、だいたい六月の満月で、赤みがかった満月です。夏は夜中でも月は高くまで昇らないから赤みがかかるんですよ。朝陽や夕陽が赤いのと同じです」
 なるほど……と、さっき沈んだばかりの夕陽を思い出す。地平線の向こうへいってしまうとともに燃えていた。まるで、自分を忘れないでと訴えかけてくるように。朝陽はあまり見る機会がないけれど、昼間よりは色が濃く見えたような記憶がある。自分はまたここにきたと、存在を主張しているかのようだ。
 そこまで考えて、太陽って自己主張の強いやつだなぁと、ふわふわと漂っていた思考が着地する。

 それにしても、いつの間にか近くに来て、自分が疑問に思ったことの答えをすらすらと説明してくれた彼の知識量には、頭が上がらない。
「一織ってなんでも知っててすごいなぁ」
「あなたが知らなさ過ぎなんです」
 なんか冷たくない? そう言い返したかったのを我慢する。もう少し、話を聞いていたいという気持ちが勝ったから。
「赤いからストロベリー?」
 やや捻くれている自覚はあるけれど、素直に質問されて面倒くさがるほど、性根は腐っていない。純粋に聞いてくる陸の表情にごくりと喉を鳴らし、それを誤魔化すため咳払いを一つしてから、一織は説明を続けた。
「夏の収穫物であるいちごと満月を結び付けたのは、ネイティブアメリカンの一族が発祥だそうです」
「オレ、いちごは春だと思ってた」
 新しいことを知って瞳を輝かせるさまは、何度見ても飽きないほどかわいい。穢れを知らない純粋な表情という表現は、彼に使うためにあるのだと、一織は信じて疑わない。
「七瀬さんは、情緒よりも食べることを選びそうですからね」
 かわいい恋人を、プライベートでだけは愛でて甘やかしたいと思うのに、自分の性格が災いしてか、素直になりきれないでいる。満月のことだって、昨年も同じニュースを見た時に自分で調べたことがあったから偶然知っているだけで、恐らく、知らない人のほうが大多数だろう。
 一織の返しに対して、陸は、むぅ……と効果音が聞こえそうなほど口を尖らせてむくれている。この表情を見たところで、一織は焦って取り繕うどころか、相変わらずかわいい反応をするなぁと心の中で呟いて終わるだけだ。
「じゃあさ、一織は知ってる? 好きな人と一緒に見ると幸せになれるって」
 今が飲み物を飲んでいなくてよかった、と一織は心の底から思った。心の中で秘かにときめいている最中に、かわいい恋人からこんな質問をされたら、誰だって動揺する。
「それは、もちろん……」
 インターネットで検索すれば、概要とともに必ずと言っていいほどその記載がされていた。ただ、そこまで言及するのは照れくさくてやめておいたのだ。
「じゃあさ、あとでちょっとだけ散歩しない? オレ、一織と見たいな」
 あざとい。穢れを知らない純粋な表情だけではない。断らないことを見越したものだ。
一織は眉間を軽く押さえ、小さく溜息をついた。本当に、この人には敵わない。
「……あなた、悪意なく人を殺すタイプですね」
「えぇ……なんか聞こえ悪くてやだ。それって、行かないってこと?」
 毎年この満月はあるのだから、もっと世の中は幸せな人だらけになっていてもおかしくない。一緒に見ると幸せになれるなんて、誰かが言い出して広めただけの、どこにも根拠がないもの。それを、この恋人は、デートの誘い文句に使ってくるなんて。取ってつけたような印象にならないのは、陸の素直さによるところだろう。
「行かないとは言ってません。殺し文句はほどほどにしてください」
 一織の捻くれた言葉を紐解けば、陸の誘いに乗ってくれていることは明白だ。でも、やっぱり一織は素直じゃないなぁと陸は思う。今日の満月は特別だから、一織が少しは素直になりますようにとお願いしたら効果があるかもしれない。
「なぁ」
「ストロベリームーンは願いごとを聞くものではありませんよ」
 まだ一言も発していないのに、陸の考えは一織に察知されていたらしい。
「まだなにも言ってない」
「顔に出過ぎなんです。あぁもう、そうやってかわ……いえ、なんでもありません。わかりました。善処は、します。善処は」
 月に言わないで私に言ってください。呟くように付け足されたそれを、陸が聞き逃すはずはなかった。


    《ひとこと感想》

     



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