2026/08/04 Tue NOVELS 久しぶりに会えた日の可不楓 楓ちゃんがHAMAの旅行会社に就職して五ヵ月。二ヵ月前に来てくれたのを最後に、顔を見せてもらえていない。PeChatでの連絡は三日から四日おきに返事がくる。でも、それも短い言葉だけ。 『最近ばたついてて会いに行けなくてごめんね』 『僕なら大丈夫だよ。仕事はもう慣れた?』 ……ここで返信が途絶える。数日後に『研修で缶詰状態だった』ときて『お疲れさま、今夜はゆっくり休めるといいね』と返したあと、また途絶えるんだ。そのあとしばらくして、突然『今は欧州ツアーのガイドでパリに来てるよ』なんてメッセージとともに写真が送られてくる。僕、行ってらっしゃいって言えてないよ。 さすがに〝毎時なにしてるか伝えて〟とまでは思わない。だって、僕も普通に既読無視とか未読のまま放置することがあるから。でも、社会人一年目でこの状態というのは、さすがに、心配だ。 彼が就職した会社の評判は決して悪くない。かといって、いいわけでもない。というか、旅の思い出づくりに携わりたい、大好きなHAMAで仕事がしたい、ただし、転勤は避けたいという楓ちゃんの望みを叶えられる会社自体、少なかった。転勤を避けるとなると、ここしか選択肢がなかったといっていい。 〝AIで自分好みのツアーを組み、自由に行動してもらう。旅のガイドは各自のスマホ〟――数年前にHAMAのとある企業がリリースしたHAMAの旅アプリは、初めこそ多くの商業施設や宿泊施設がこぞって提携したものの、組み合わせの自由度が低いことや、提携した加盟店側もアプリ任せで終わることがほとんどだとかで、あっという間に飽きられてしまった。旅アプリを開発した企業はというと、改善を図るどころか無料アプリを宣伝文句にしたこともあって負債が膨れ上がり、二年前に破産した。 さすがにその企業の破産で危機感を抱いたHAMAの旅行業界は、今、どうにかして業界の評判を立て直そうと必死だ。楓ちゃんが就職した旅行会社もそう。とにかく企業のイメージアップを優先してるのか、HAMAの旅行会社なのにHAMA以外のツアー商品ばかりを打ち出してる。それじゃHAMAの評判は一向に持ち直さないのにね。 おかげで、楓ちゃんは相変わらず海外を飛び回ってばかり。楽しそうではあるから、それはいいんだけど……やっぱり、心配。せめて、行ってらっしゃいとおかえりなさいはちゃんと言わせてもらいたいかな。 あーあ。今頃、楓ちゃんはどこでどうしてるんだか。――既読にすらならないPeChatの送信メッセージに視線を落とす。一週間前に僕が送ったままだ。今までで一番長い、連絡のない期間。なにかあったんじゃないかと不安になる。 雪風には、連絡いってるのかな。従兄弟だから僕以上に連絡を取り合ってるかもしれないけど、あいつに楓ちゃんの近況を訊くのは癪だ。最終手段は椛ちゃんんだけど……たぶん、僕以上にあの子のほうが、楓ちゃんとの連絡の頻度が少ない。 PeChatで追撃してみる? ううん、楓ちゃんには大好きな仕事に向き合っててほしい。邪魔したくない。僕だけは、楓ちゃんの人生を邪魔しないままの存在でいたい。 ……スマホとにらめっこばかりしててもよくないな。本でも読もうかな。手術が終わったら、僕も夢に向かって動き出せるわけだし、そのための勉強とコネクションづくりは欠かせない。 そう判断してスマホを伏せ、夕べ読んでた経済書の続きを読もうとタブレットに手を伸ばした、そのとき。 「っ、可不可!」 「へっ!?」 病室のドアが勢いよく引かれ、僕の脳内を占めてる彼が顔を覗かせた。 「ごめん! 全っ然、連絡できてなくて、ここにも来られなくて……っ」 肩を大きく上下させてる。院内は走っちゃダメって子どもの頃から何度も言われてるのに、また走ってきたの? 看護師さんに叱られなかった? 見つかるより早く駆けてきてくれた? 「……っ、はぁー……」 めいっぱい息を吐き出して少しだけ落ち着いたのか、楓ちゃんが椅子の座面に吸い寄せられるように腰を下ろした。 「本当にごめんね。欧州ツアーからJPNに戻ったあと、ひと晩休んだら次は北海道横断ツアーがあって、そのあとは……あ、これ、お土産!」 いびつに膨らんだバッグから、窓辺に飾るインテリアや、院内で食べてもいいとされる範囲内のお菓子がどんどん出てくる。 「仕事の合間にね、あ、これ可不可にあげたいなーって思ったら、つい、いっぱいになっちゃった!」 「それは、いいけど……」 いいけどなんてものじゃない。すっごく嬉しい。だって、仕事の合間にも僕のこと思い出してくれてたってことでしょ。 「写真も撮ってきたよ。見る?」 「うん……」 楓ちゃんが椅子を少し引きずって体を寄せてきた。撮るタイミングによってカメラだったりスマホだったりするから、いつも、両方見せてくれるんだ。 机の上に並べられたお土産と、軽く触れたままの肩から伝わってくる楓ちゃんの体温。 「あのね、楓ちゃん」 「ん? なに?」 「おかえり」 久しぶりに言えた。いきなり病室に飛び込んできたものだから、言うのが遅れちゃったよ。……って、楓ちゃんもそうだったのかな。そうだよね。仕事の予定が次々に飛び込んでくるものだから、行ってきますもただいまも言いそびれちゃうこと、あるよね。 「はっ、そうだ。ただいま、可不可!」 ふたりして久しぶりに会えた挨拶が一歩出遅れたのがおかしくて、どちらからともなく笑った。
久しぶりに会えた日の可不楓
楓ちゃんがHAMAの旅行会社に就職して五ヵ月。二ヵ月前に来てくれたのを最後に、顔を見せてもらえていない。PeChatでの連絡は三日から四日おきに返事がくる。でも、それも短い言葉だけ。
『最近ばたついてて会いに行けなくてごめんね』
『僕なら大丈夫だよ。仕事はもう慣れた?』
……ここで返信が途絶える。数日後に『研修で缶詰状態だった』ときて『お疲れさま、今夜はゆっくり休めるといいね』と返したあと、また途絶えるんだ。そのあとしばらくして、突然『今は欧州ツアーのガイドでパリに来てるよ』なんてメッセージとともに写真が送られてくる。僕、行ってらっしゃいって言えてないよ。
さすがに〝毎時なにしてるか伝えて〟とまでは思わない。だって、僕も普通に既読無視とか未読のまま放置することがあるから。でも、社会人一年目でこの状態というのは、さすがに、心配だ。
彼が就職した会社の評判は決して悪くない。かといって、いいわけでもない。というか、旅の思い出づくりに携わりたい、大好きなHAMAで仕事がしたい、ただし、転勤は避けたいという楓ちゃんの望みを叶えられる会社自体、少なかった。転勤を避けるとなると、ここしか選択肢がなかったといっていい。
〝AIで自分好みのツアーを組み、自由に行動してもらう。旅のガイドは各自のスマホ〟――数年前にHAMAのとある企業がリリースしたHAMAの旅アプリは、初めこそ多くの商業施設や宿泊施設がこぞって提携したものの、組み合わせの自由度が低いことや、提携した加盟店側もアプリ任せで終わることがほとんどだとかで、あっという間に飽きられてしまった。旅アプリを開発した企業はというと、改善を図るどころか無料アプリを宣伝文句にしたこともあって負債が膨れ上がり、二年前に破産した。
さすがにその企業の破産で危機感を抱いたHAMAの旅行業界は、今、どうにかして業界の評判を立て直そうと必死だ。楓ちゃんが就職した旅行会社もそう。とにかく企業のイメージアップを優先してるのか、HAMAの旅行会社なのにHAMA以外のツアー商品ばかりを打ち出してる。それじゃHAMAの評判は一向に持ち直さないのにね。
おかげで、楓ちゃんは相変わらず海外を飛び回ってばかり。楽しそうではあるから、それはいいんだけど……やっぱり、心配。せめて、行ってらっしゃいとおかえりなさいはちゃんと言わせてもらいたいかな。
あーあ。今頃、楓ちゃんはどこでどうしてるんだか。――既読にすらならないPeChatの送信メッセージに視線を落とす。一週間前に僕が送ったままだ。今までで一番長い、連絡のない期間。なにかあったんじゃないかと不安になる。
雪風には、連絡いってるのかな。従兄弟だから僕以上に連絡を取り合ってるかもしれないけど、あいつに楓ちゃんの近況を訊くのは癪だ。最終手段は椛ちゃんんだけど……たぶん、僕以上にあの子のほうが、楓ちゃんとの連絡の頻度が少ない。
PeChatで追撃してみる? ううん、楓ちゃんには大好きな仕事に向き合っててほしい。邪魔したくない。僕だけは、楓ちゃんの人生を邪魔しないままの存在でいたい。
……スマホとにらめっこばかりしててもよくないな。本でも読もうかな。手術が終わったら、僕も夢に向かって動き出せるわけだし、そのための勉強とコネクションづくりは欠かせない。
そう判断してスマホを伏せ、夕べ読んでた経済書の続きを読もうとタブレットに手を伸ばした、そのとき。
「っ、可不可!」
「へっ!?」
病室のドアが勢いよく引かれ、僕の脳内を占めてる彼が顔を覗かせた。
「ごめん! 全っ然、連絡できてなくて、ここにも来られなくて……っ」
肩を大きく上下させてる。院内は走っちゃダメって子どもの頃から何度も言われてるのに、また走ってきたの? 看護師さんに叱られなかった? 見つかるより早く駆けてきてくれた?
「……っ、はぁー……」
めいっぱい息を吐き出して少しだけ落ち着いたのか、楓ちゃんが椅子の座面に吸い寄せられるように腰を下ろした。
「本当にごめんね。欧州ツアーからJPNに戻ったあと、ひと晩休んだら次は北海道横断ツアーがあって、そのあとは……あ、これ、お土産!」
いびつに膨らんだバッグから、窓辺に飾るインテリアや、院内で食べてもいいとされる範囲内のお菓子がどんどん出てくる。
「仕事の合間にね、あ、これ可不可にあげたいなーって思ったら、つい、いっぱいになっちゃった!」
「それは、いいけど……」
いいけどなんてものじゃない。すっごく嬉しい。だって、仕事の合間にも僕のこと思い出してくれてたってことでしょ。
「写真も撮ってきたよ。見る?」
「うん……」
楓ちゃんが椅子を少し引きずって体を寄せてきた。撮るタイミングによってカメラだったりスマホだったりするから、いつも、両方見せてくれるんだ。
机の上に並べられたお土産と、軽く触れたままの肩から伝わってくる楓ちゃんの体温。
「あのね、楓ちゃん」
「ん? なに?」
「おかえり」
久しぶりに言えた。いきなり病室に飛び込んできたものだから、言うのが遅れちゃったよ。……って、楓ちゃんもそうだったのかな。そうだよね。仕事の予定が次々に飛び込んでくるものだから、行ってきますもただいまも言いそびれちゃうこと、あるよね。
「はっ、そうだ。ただいま、可不可!」
ふたりして久しぶりに会えた挨拶が一歩出遅れたのがおかしくて、どちらからともなく笑った。