2026/02/28 Sat NOVELS 内緒の気持ち 最近、楓ちゃんは眠る前の一杯にはまってる。一杯といっても、お酒じゃなくてホットミルク。あと、毎晩飲むわけじゃなく、仕事で遅くなった日にだけ。僕もそうだけど、早く帰れた日は、みんなとの団欒を優先させてるから。 「もうできる?」 「うん、……ほら、表面がふつふつしてきたからね」 鍋底がヒーターから離れ、自動的に止まる。楓ちゃんの利き手は片手鍋の持ち手で塞がってるから、電源は僕が切った。こんな些細なことすら、共同作業って感じがして嬉しい。 「この前みたいに勢いよくやっちゃだめだよ」 「わかってるってば」 僕たちのそばに並んでるマグカップは、僕がどうしてもとお願いしてこの子とおそろいで買ったものだ。もしかしたら脈があるかもと期待したものの全然そんな展開にならなかった何十回目かのデートの帰り、たまたま目に留まったインテリアショップの雑貨コーナーで買い求めた。珍しいデザインとかじゃない、シンプルなマグカップだ。 うまく言いくるめておそろいのものを増やせたはいいものの、幼馴染みとしか思ってない相手とおそろいのものをみんなの前で使おうとはならないだろう。どうせ各々の部屋で使うことになる。――そう思ってたら、翌日の夜、楓ちゃんがホットミルクをつくりながら「使おうかな」と言い出した。それならと、便乗するふりをして、自分のマグカップを持ってきては、こうして、眠る前のひとときをともに過ごさせてもらってる。 大好きな子と、おそろいのマグカップで、同じものを飲んで過ごす。みんなが部屋で過ごすくらいには遅い時間にキッチンでふたりきりなんて、結構いい雰囲気じゃない? この気持ちはまだ伝えるに至ってないけど、立ち上る湯気に吹きかけた息とともに、伝わってしまってもいいかなと思い始めてる。思い始めてるだけで、実行には至ってない。 だって、どこまで自分の気持ちを見せていい? 心臓を取り出して見せるくらいの心意気ですべてをさらすには、僕が抱えた感情はあまりに重過ぎるんじゃないか。だからといって、軽い気持ちのふりはできない。ううん、したくない。 そんなことばかり考えるものだから、実際には想いを打ち明けられないまま、年下の幼馴染みという立場を活かして、ちょっとやきもちを妬いたり、甘えたりするのが、今の僕の精一杯だ。 「今夜は味変をしようと思うんだ」 「いいね。はちみつでも入れるの?」 「違う……って言いたいところだけど、結構近いかな。確かここに――」 楓ちゃんが背伸びをしてキッチン戸棚の上、奥のほうに手を突っ込んでがさごそしてる。そのあいだに僕は鍋のなかを軽くゆすいでおいた。……うん、これも共同作業って感じがする。もしも僕たちが結婚したら、こんなふうに過ごすのかななんて考えちゃう。結婚どころかお付き合いにすら至ってないのに。 「――あった! メープルシロップなら、相性もいいはずだよ」 昨日ここを整頓しててたまたま見つけたんだよねと言いながら、楓ちゃんが瓶の蓋を開ける。 「誰かのじゃないよね?」 「そう思ったから一旦は元の場所に戻して、日中のうちに聞いたんだけど、誰も知らないって。ほら、可不可も既読つけてくれてくれてたでしょ」 そういえば、PeChatの連絡網にそういう投稿があったなと思い出す。僕が買ってこんなところに仕舞い込むことはまずないから既読だけつけてスルーしてたな。 新品未開封、賞味期限にはまだまだ余裕がある。本当に、誰のものでもないのかなぁ。……まぁ、連絡網で誰も名乗りを上げなかったのは僕も見たし、いいか。 「ちょっとだけ掬って……はい、できあがり」 「ありがとう」 本来はダイニングに移動すべきところだけど、今はふたりきりだし、そのへんにもたれかかるだけ。いつもはみんなで過ごす空間で、さっとつくって、ぱぱっとその場で飲む。誰にも内緒でちょっと悪いことをしてるみたいで、ちょっとどきどきする。真夜中のラーメンとは別ベクトルの罪って感じ。 「はぁ……あったまる……」 立ち上る湯気をものともせず、くちびるを湿らせた楓ちゃんがほうっと息を吐いた。瞳が潤んでるように見えるのは湯気のせいに決まってるのに、直視するのが憚られて、視線を自分のマグカップへと落とす。同じものを食べたり飲んだりするのは毎日のようにやってることなのに、ふたりきり、それも楓ちゃんがつくってくれたものをとなると、どうしたって意識してしまう。こんな時間がもっと増えればいいのに、いつか、おそろいの気持ちになって、幼馴染みという枠ではおさまらないふたりきりの時間をつくれたらいいのにって、思っちゃうんだ。おかげで、マグカップを持つ指先までもが熱くなってきた。 「……熱くない?」 楓ちゃんが声をもらす。 「そりゃあ、できたてのを飲んでるからね」 「飲んであったかくなるのとは別で、こう、やけに手のあたりが……」 言われてみれば、僕もそうだ。マグカップを持ってるからというだけじゃない。指先よりも―― 「へっ? え、え、なにこれ! あ、可不可も……?」 ――手首が熱いなんて変だなと、自分の手首を見遣ると同時、どこからともなく、銀色の輪っかが浮かび上がってきたんだ。 「…………え?」 「えっと……」 僕たちの利き手同士が、手錠で繋がれてしまった。 「つまり、あのメープルシロップは子タろのものだったってこと?」 こんな現象を起こすといえば、子タろの発明しか心当たりがない。即刻呼び出して事情を……と思ったら、子タろ曰く「張り込み捜査中」らしく、HAMAハウスにはいなかった。利き手が塞がってて文字も打ちづらいから、仕方なく、電話で事情聴取してるってわけ。 メープルシロップは子タろの発明品で、試作段階ということもあって「ヒミツの場所でじっくりコトコト寝かせておいたのに〜」とのことだ。じっくりコトコトって、スープじゃないんだから。 「キッチンの戸棚が秘密の場所なわけないでしょ。事実、主任ちゃんが普通に見つけてるんだし。っていうか、お昼に主任ちゃんがPeChatで訊いたときにどうして名乗りを上げなかったの」 持ち主がわかれば、この子も使おうとはしなかった。誰も名乗りを上げないイコール不要なものだと判断して、賞味期限内だしもったいないから使おうかなってことになったんだ。 僕の質問に、子タろはそんなこともあったかな〜なんて言ってる。彼のひらめきには常々驚かされてるし、おもしろいとも思ってるよ。でも、状況が状況だから、僕も焦っちゃって、質問責めみたいなことをしてる。 「とにかく、これを今すぐ外す方法は? それだけ教えてくれたら子タろは仕事に戻っていいから」 さっきから、主任ちゃんが僕が持つスマホの反対側に耳を寄せてる。ところどころ聞こえづらいみたいで、たまに、ぐいぐい体を寄せてくるんだ。近い、近いってば! スピーカーにすれば離れてくれるだろうけど、この子に直接聞かせてショックを受けるような発言があったらと思うと、スピーカーにはできない。話の内容が聞こえないくらいでいい。だから、できれば離れてほしい。そう思って体を引いても、楓ちゃんがぴったりとくっついてくる。くっついてくれることそのものは嬉しいけどさぁ、そうじゃないんだよ。 「……え? 三時間はこのまま!?」 「え!?」 楓ちゃんがすぐそばで大きな声を上げる。ほら、この「三時間」も、子タろの声じゃなくて僕の反応で知ったくらいには、スマホの裏側に耳を寄せても聞き取りづらいみたい。 〝他に害わないし、ぐっすりおねんねすればよかろ〟――子タろの言葉が、遠い。返す言葉を探す間もなく「ボクわ捜査中じゃから」と電話が切れた。実験台になる趣味はないけど、いっそ興味をそそられてくれればよかったのに。そうしたら、すぐにでも帰ってきてくれたでしょ。 「ねぇ、子タろくんはなんて?」 「……そのまま過ごせって。三時間経てば自然に消えるらしい」 「そっかぁ。でも、原因がわかって安心したよ」 いや、全然安心できないんですけど!? ――そう思ったのが顔に出たのか、楓ちゃんは僕を宥めるように顔を覗き込んできた。 「子タろくんの発明品に関しては琉衣くんとか凪くん見てたら慣れたっていうか……。繋がれてる以外のことは起きないんでしょ? 時間が経てば消えるんなら、ここでうだうだ言ってもしょうがないし、寝ちゃおうよ。この時間からあと三時間も起きてるの、つらいでしょ」 俺の部屋で寝たほうがいいよねなんて、屈託のない笑顔で訊いてくる。僕からすれば、正気を疑う質問だ。 「楓ちゃんの部屋で?」 今、僕たちの手首は手錠で繋がれてる。この状態で寝るって、つまりは、そういうことだよね。三時間起きてるほうがましな気がするんだけど。 「寅部屋だと他のふたりに心配かけちゃうと思う。それに、可不可を床で寝かせるわけにはいかないよ」 眩しい。真面目と優しさと思いやりと気遣いを全部ひっくるめたものが前面に押し出されてる。下心のしの字もない眩しさだ。楓ちゃんのいいところであり、僕が焦れてしまうところでもある。 「いやじゃないの? その、こういう状況だから、添い寝みたいになると思うんだけど」 眩しさと、意識されてないのがまるわかりなのがつらいのとで、顔を見られない。 「いやなわけないよ。ほら、行こう。……あ、これって意外と歩きにくいかも」 楓ちゃんが一歩踏み出したタイミングで僕の手首まで引っ張られ、たたらを踏んだ。歩幅を合わせないと、歩きながら何度も腕がぶつかったり、相手の足に躓いたりしかねない。手っ取り早く解決する方法はあるけど、言っていいのかな。また「子どもじゃないんだから」って笑われないかな。子ども扱いされないのはいいことだけど、僕相手に〝大人でも手は繋ぐ〟って考えに至ってくれてないってことでもあるから、ちょっと言い出しづらい。 せっかくふたりきりなんだからこういうときにこそ攻めなきゃと思うのに、楓ちゃんに拒絶されたらという想像ばかりが先行してしまう。好きな子とひと晩じゅうふたりきりで過ごすというアクシデントが、僕から冷静さと余裕を奪ってるんだ。 いつまでも歩き出さない僕を不思議に思ったらしく、楓ちゃんがこちらに向き直った。 「可不可、眠くなっちゃった? 部屋まですぐだからね」 子どもじゃないんだけどと言おうとして、はっとする。 「楓ちゃん、手……」 「ん? あぁ、ごめんね、いきなり繋いで。でも、こうすれば転ばないから」 「いい、けど」 キミはいいの? ……いいんだろうな。非常事態だから。こっちはいきなり手を繋がれて、手汗が出たらどうしようとか、握り返してもいいのかなとか、ぐるぐる考えちゃうんだけど。 リビングに出て階段をのぼる。いつの間にか深夜一時前になってて、そりゃあこんなにばたばたしてても誰も出てこないわけだと思い至った。 「……なんだか、どきどきするね」 「えっ」 それって、僕と手を繋いでるから? 僕がどきどきしてるの、伝わっちゃった? もしかして、キミも僕と手を繋ぐことに、本当は緊張してくれてるの? ――期待を込めて楓ちゃんに視線で尋ねる。 「みんなを起こさないように静か〜に歩くの、忍者みたいじゃない?」 楓ちゃんがおどけた動作で、つま先からそうっと床に足をつけてみせた。なぁんだ、そっちか。 「……忍者の才能なさそう」 「あ、ひどい。って、ちょっと可不可」 僕ばっかり緊張してるのがばかみたいだ。ひとりで忍者気分になってるのがむかついてきたから、大きく一歩踏み出し、楓ちゃんの手を引いてずんずんと前を歩く。普段、楓ちゃんの部屋を訪ねたいときは必死で理由をつくってるんだよ? でも、この子は僕の気持ちなんて知りもしないからこそ、平気な顔で一緒に寝ようなんて言えちゃうんだ。百分の一、ううん、千分の一でもいいから、僕にどきどきしてくれたっていいのに。本当に悔しい。先に好きになったほうが負けって言葉は真理だと思う。 さすがに部屋の主を差し置いてなかに入るわけにはいかないから、ドアの前でだけ、楓ちゃんに譲った。 「もう、いきなりどうしたの。なにか怒ってる?」 「別に。寝るなら寝るで早くって思っただけ」 怒ってるよ。僕を意識してくれないことにも、こんなに大好きなのに、楓ちゃんを驚かせたくなくて想いを伝えられない自分にも。 「確かに、もう一時だもんね」 楓ちゃんに手を引かれて、ベッドへと向かう。きちんと想いを伝えて、受け入れてもらえたら、その先のいつかにと夢想したことはあれど、こんなことで過ごすつもりはなかったのにな。 「可不可は壁際に寝てね」 「いいよ、楓ちゃんがそっちに詰めて」 ベッドの手前でお互いに体を押し合う。これじゃあ、いつまで経っても寝られない。 「なに言ってるの。ここでは可不可がゲストなんだから、より安全なほうがいいに決まってる。上座みたいなものだよ」 「それこそなに言ってるの。ベッドに上座も下座もないから。部屋の主を差し置いて我がもの顔で寝られるはずないでしょ」 楓ちゃんは、万が一にも僕をベッドから落っことさないように言ってくれてるんだよね。でも、僕もそれは同じ気持ち。 「〜〜っ、もう!」 「うわっ」 いきなり体が浮いたかと思うと、次の瞬間、背中からベッドにダイブしてた。なになに、なんなの!? さらに一拍置いて、楓ちゃんが体当たりしてきたのだと理解した。手錠で繋がれてるから、楓ちゃんも一緒になってひっくり返ってる、っていうか乗っかられてるんだけどね。 「わ、ごめん、重いよね?」 「いや、いいけど」 楓ちゃんが慌てて飛び退いて、繋がれた手錠が軽く引っ張られた。また、楓ちゃんが謝る。 「あはは……繋がれてるの意識してないと、可不可のこと引っ張っちゃうね」 「いいってば、これくらい」 あまりにも申し訳なさそうにするものだから、じゃあ仕返ししようかなと、僕からも軽く手を引っ張った。 「こっちの手が繋がれてるんだし、可不可が壁際に寝なよ」 手が繋がれてるほうの腕を下にして横向きになったほうが寝転びやすいと思うよ。――楓ちゃんにそう言われては、反論できない。だって、楓ちゃんがそのほうが寝やすいと思ったから僕に提案してくれたんだろうし。 「そういえば、こうして一緒に寝るのは久しぶりだよね」 あのときは寝落ちしちゃったからだけどなんて笑ってる。 「そうだね。楓ちゃんの大学入学祝いのとき以来だ」 楓ちゃんが大学に入学してすぐの頃、僕の一時退院のタイミングに合わせて、家に招待した。ぜひ泊まっていってよとどきどきしながらお願いしたら、楓ちゃんはすんなりと頷いてくれて……もちろん、客室は用意してたよ。でも、話題が尽きず、ふたりして、僕の部屋で寝落ちしちゃったんだ。翌朝、目を覚ましたら大好きな子の寝顔が目の前にあって、この子とずっとこんなふうに過ごせたらいいのになと思った。 「懐かしいな。……こんなこと言うの変かもしれないけど、俺は、この状況、ちょっと楽しんでるんだ」 「どうして?」 楽しんでるのは薄々気付いてたけど、困惑を上回った理由が知りたい。おそろいの気持ちには程遠くても、僕と過ごすなかでなにを考え、どう感じたかは、あますことなく教えてほしいんだ。 「こうでもしないと可不可と夜通しおしゃべりなんてできないでしょ? HAMAツアーズに入って、ここでの暮らしが始まって……ほとんどずっと一緒にいられる状態なのに、可不可は誰よりもたくさん仕事してるし、夜は体力づくりやおもてなしライブのレッスンで忙しいから、言うほど一緒にいるわけじゃないんだよね」 「夜通しって……寝るんじゃなかったの」 「寝るよ。でも、今すぐはちょっと、もったいないかなぁって」 びっくりした。特大レベルの告白かと思った。楓ちゃんだからそんなことないってわかってるけど、期待しそうになった。 だって、今のって、僕と一緒にいる時間が少なくてさみしいって言ってるようなものでしょ。……いや、わかってる。わかってるよ、仲のいい友だちとなかなか遊べないと、なんだかつまらない気分になるのと同じだよね。わかってる、けど、こんな至近距離で言われたら、ちょっとくらい望みがあるんじゃないかと浮かれてしまう。 「……さっき、寝るなら寝るで早くって言ったの、気にしてる?」 「あはは、そんなことないよ。実際に遅い時間だし、可不可の睡眠時間が減るのはいやだからね。でも、すぐには眠れそうにないから、昔みたいに寝落ちするまでおしゃべりできたら楽しいだろうなぁって、ちょっと思ってた。本当の本当にちょっとだけだよ」 深夜一時台、確かに、いつもなら寝支度を済ませてる頃合いだ。こんなことでもなければ、とっくに眠気を感じてる。 「まだしばらく眠れそうにないのはわかるよ。こんなトラブルに見舞われるなんて、思ってもみなかったしね」 しばらくどころか、僕は三時間後まで起きてるかもしれない。だって、ずっとどきどきしてる。こんな状態で眠れるわけない。 「可不可も? じゃあ、仕事に響かない程度に、もうちょっとだけこうしていようよ」 「……そうだね」 お互いの手首が繋がれてるせいだと心のなかで言い訳して、楓ちゃんの指先に視線を落とす。こんなトラブルがなくても、簡単に触れられるようになりたい。幼馴染みじゃしないような繋ぎ方に憧れてる。 もっと気楽な恋心だったら、このシチュエーションに乗じて、攻めてみることもできたんだろうか。 本当は、大好きだって言いたい。子どもの頃から、毎日毎日、ずーっと大好き。キミを想わなかった日がない。僕の恋人になって、ずっと一緒にいて、将来は家族になりたいんだ。ふたりでいろんなところを旅しよう。憧れだって言ってる世界一周旅行もしようよ。一生をかけてどんなものからも守るし、毎日幸せにしてあげる。それくらいの力はあるつもりだよ。――なんて言えば、この子はびっくりするよね。僕にどう答えるべきか悩んで悩んで悩み抜いた結果、もしかしたら、僕を傷つけまいと、一緒にいるよと言ってくれるかもしれない。子どもの頃に一生一緒に遊ぼうって約束したからねなんて笑って、僕に合わせようとするんじゃないか。 楓ちゃんへの恋心は募る一方だけど、僕に合わせて自分の気持ちを無理矢理決めることだけはさせたくないんだ。だから、今はまだ言えない。 「可不可、やっぱりちょっと眠いんじゃない?」 「まさか。普段でも、この時間ならまだもうちょっと起きてるくらいだよ」 「あ、最近も遅くまで起きてるんだ。だめだよ、夜更かししちゃ」 「してないよ。ベッドに入って、目を閉じて、その日あったことを頭のなかで振り返ってるだけ」 じゅうぶん過ぎるくらい夜更かしなんだけどと、楓ちゃんがくちびるをむっと尖らせる。 キミは知らないでしょ。今日も無事に一日を終えられたことへの感謝と安堵で、すぐには眠れないってこと。手術が成功したからって、この癖はそう簡単には直らないんだ。言えば心配をかけるのがわかるから内緒にしてる。僕が気持ちを打ち明けられる日がきたとしても、これだけは一生言えないんじゃないかな。 そこまで考えて、僕はこの子に内緒にしてるものが多過ぎるなと、心のなかでだけ呆れ笑いをこぼした。好きだと、愛してると知ってほしい、矛盾してる。 「楓ちゃんこそ、持って帰った仕事で遅くまで起きてるでしょ。わかってるんだからね」 「……ばれてた?」 「そりゃあ、社員の仕事の進捗は把握してるに決まってるよ」 この子なら、持ち帰らずとも、終わらせようと思えば終えられる。それじゃ納得できないからと、あれこれ模索したくて持ち帰ってるみたい。僕と同じでこの街が好きだから、子どもの頃ふたりで見た景色……ううん、それ以上のものでこの街をきらめかせたいんだよね。HAMAに対する気持ちがおそろいなだけで、僕は毎日立っていられる。なんて言ったら、大袈裟だと言われそうだ。 「そろそろ春以降のツアーを考える時期だから、アイデアが止まらなくて」 「へぇ、たとえばどんな?」 よくぞ聞いてくれましたといわんばかりに教えてくれたのは、イースターイベントをやってみたらどうかというものだった。特定の宗教における復活祭が由来ではあるけど、今のJPNでは春の訪れを祝う意味合いのほうが強い。 「地元の子どもたちに向けたイベントならあちこちでやってるけど、大人も子どもも分け隔てなく楽しめるものがいいんだ」 「いいね、次のミーティングで取り上げよう」 楓ちゃんは頬を紅潮させて「やった!」と喜んでる。 そこからは、子どもの頃に海外で見たイースターパレードの話をしてくれた。当時も病院で聞かせてもらった話だったけど、あの頃に聞くのとは違って、今は「HAMAでもやってみたいな」という気持ちになる。いつか見てみたいなだけじゃない、自分たちでもやってみたい。もちろん、楓ちゃんが子どもの頃に見た景色を一緒に見られる未来も諦めるつもりはないよ。 「こんなにおしゃべりしてたら、どんどん夜更かしになっちゃうね」 「いいよ。こういう時間がほしかったんでしょ」 「うん。でも、まだ全部話せてないのに」 目を瞬かせて、眠気を追い払おうとしてる。子どもの頃も、病室でたくさん話したあとにはあくびを噛み殺してたよね。しゃべり疲れるくらい、僕のためにたくさん話してくれるのが嬉しかった。あのときから変わらないなぁ。 「眠いんなら無理しないで寝なよ」 「まだ明かしてないとっておきのアイデアが」 「ミーティングで聞かせてくれればいいから」 「でも、可不可には先に」 僕に一番に教えてくれるのは、どうして? 社長だから? それとも、……なんてね。何年経っても、楓ちゃんの言葉の端を拾っては、一喜一憂する。われながら、沼に溺れ過ぎだと思う。泳ぎが得意じゃないから、なによりも先に苦しさを感じるんだろうな。 楓ちゃんの瞼が閉じては開こうと抗ってる。この表情を、毎日でも眺められるような関係になりたい。 「……」 気付かれないように唾を飲み込んだ。これくらいならいい? 幼馴染みだし、いいよね。子どもの頃、楓ちゃんが僕にしてくれたのと同じことをするだけだから、びっくりさせちゃわないよね。いやがられないよね。 恐る恐る、楓ちゃんの髪に指先を伸ばす。 「ん、……ふふ、俺、子どもじゃないのに……」 僕が髪を撫でるのをおとなしく受け入れてくれてる。こっちの心臓はずっとどきどきしっぱなしだ。髪に触れるなんて、酔いに任せて「昔みたいに抱っこしてよ」なんて甘えるとき以上に大胆なことだから。 「……ほとんど寝そうになってるじゃない」 驚いたりいやがったりしないのは、眠いせいかな。これが、僕が触れることで幸せを感じてくれてるおかげだったらいいのに。――髪に触れてもときめいてもらえないことに、少しだけがっかりしてしまう。 「へいき……」 声もほとんど寝てる。そりゃそうか、もう一時半だもの。相変わらず、僕はまだまだ眠れそうにないけど。 「平気じゃなくていいから。ほら、おやすみ」 「んー……」 恋人なら、抱き寄せて、頬や額にキスでもできたんだろうか。そんな憧ればかりが、どんどん増えていく。 いつか、子どもの頃の約束にとらわれることなく楓ちゃんが僕の手を取ってくれる日がきたら、こんな夜をあたりまえのように過ごしたい。手錠で無理矢理繋がれてやむを得ずじゃなくてね。 さて、僕はまだまだ眠れそうにないけど、目を覚ましたときに僕が徹夜したって知ったら心配かけちゃうだろうから、せめて目は閉じておこうかな。大好きな子の寝顔を見続けるのは、いつかの未来にとっておきたい。 ◇ 「試作品とわいえ、興味深〜い結果じゃったな」 ナリが首を傾げる。カフカフからの電話尋問中、ナリわボクの代わりに犯人のアジトを見張ってくれた。おかげで、今回もサミーわボクにカンシャカンゲキの涙を流すオチになったというわけじゃ。めでたしめでたし、一件落着〜。 「……大黒様からの着信から二時間五十七分三十四秒経過。大黒様とマスターの手錠はそろそろ外れる頃でしょうか」 「じゃな♪」 ほんとわすぐ外す方法がないわけじゃないけども、教えちゃうとつまらんからな。 ん〜、でもな〜―― 「夜半様?」 「教えたほうが、もーっとおもしろかったかもしれん!」 ――顔を真っ赤っか〜にして騒ぐカフカフなんて超レアじゃろ? ついでに一緒になって大騒ぎするドゥドゥーもおもしろそうじゃし、あ〜、見てみたかった! 捜査中じゃなかったらボクの発明をこと細か〜く説明して見にいってやったのに! 「……誰彼構わず拘束するようであれば、マスターの身の安全のため、自分が回収させていただきます」 「ならん! それに、なんでもかんでもがっちゃんこするわけじゃないぞ」 ボクが発明した『運命×急接近=拘束シロップカッコカリ』わ、一方がビーチェだと思ってるうちわただの甘〜いシロップ。な〜んにも起こらん。しかし、それを互いにビーチェだと認識してる状態で口にしたときこそが、この『運命×急接近=拘束シロップカッコカリ』が効果を発揮するとき! ――かいつまんでナリに説明すると、さっすがものわかりのいい助手、こくっと頷いて「つまり、大黒様とマスターは同種の感情を抱いているということですか」と、ぴしっとした言葉で締め括った。 そのとおり、カフカフたちが真のビーチェ同士だからこそ、がっちゃんこしちゃったってわけじゃ。真のビーチェ同士ならキッスすれば手錠もすぐに外れて一件落着だけども……カフカフもドゥドゥーも奥手なのが玉に瑕じゃな♪
内緒の気持ち
最近、楓ちゃんは眠る前の一杯にはまってる。一杯といっても、お酒じゃなくてホットミルク。あと、毎晩飲むわけじゃなく、仕事で遅くなった日にだけ。僕もそうだけど、早く帰れた日は、みんなとの団欒を優先させてるから。
「もうできる?」
「うん、……ほら、表面がふつふつしてきたからね」
鍋底がヒーターから離れ、自動的に止まる。楓ちゃんの利き手は片手鍋の持ち手で塞がってるから、電源は僕が切った。こんな些細なことすら、共同作業って感じがして嬉しい。
「この前みたいに勢いよくやっちゃだめだよ」
「わかってるってば」
僕たちのそばに並んでるマグカップは、僕がどうしてもとお願いしてこの子とおそろいで買ったものだ。もしかしたら脈があるかもと期待したものの全然そんな展開にならなかった何十回目かのデートの帰り、たまたま目に留まったインテリアショップの雑貨コーナーで買い求めた。珍しいデザインとかじゃない、シンプルなマグカップだ。
うまく言いくるめておそろいのものを増やせたはいいものの、幼馴染みとしか思ってない相手とおそろいのものをみんなの前で使おうとはならないだろう。どうせ各々の部屋で使うことになる。――そう思ってたら、翌日の夜、楓ちゃんがホットミルクをつくりながら「使おうかな」と言い出した。それならと、便乗するふりをして、自分のマグカップを持ってきては、こうして、眠る前のひとときをともに過ごさせてもらってる。
大好きな子と、おそろいのマグカップで、同じものを飲んで過ごす。みんなが部屋で過ごすくらいには遅い時間にキッチンでふたりきりなんて、結構いい雰囲気じゃない? この気持ちはまだ伝えるに至ってないけど、立ち上る湯気に吹きかけた息とともに、伝わってしまってもいいかなと思い始めてる。思い始めてるだけで、実行には至ってない。
だって、どこまで自分の気持ちを見せていい? 心臓を取り出して見せるくらいの心意気ですべてをさらすには、僕が抱えた感情はあまりに重過ぎるんじゃないか。だからといって、軽い気持ちのふりはできない。ううん、したくない。
そんなことばかり考えるものだから、実際には想いを打ち明けられないまま、年下の幼馴染みという立場を活かして、ちょっとやきもちを妬いたり、甘えたりするのが、今の僕の精一杯だ。
「今夜は味変をしようと思うんだ」
「いいね。はちみつでも入れるの?」
「違う……って言いたいところだけど、結構近いかな。確かここに――」
楓ちゃんが背伸びをしてキッチン戸棚の上、奥のほうに手を突っ込んでがさごそしてる。そのあいだに僕は鍋のなかを軽くゆすいでおいた。……うん、これも共同作業って感じがする。もしも僕たちが結婚したら、こんなふうに過ごすのかななんて考えちゃう。結婚どころかお付き合いにすら至ってないのに。
「――あった! メープルシロップなら、相性もいいはずだよ」
昨日ここを整頓しててたまたま見つけたんだよねと言いながら、楓ちゃんが瓶の蓋を開ける。
「誰かのじゃないよね?」
「そう思ったから一旦は元の場所に戻して、日中のうちに聞いたんだけど、誰も知らないって。ほら、可不可も既読つけてくれてくれてたでしょ」
そういえば、PeChatの連絡網にそういう投稿があったなと思い出す。僕が買ってこんなところに仕舞い込むことはまずないから既読だけつけてスルーしてたな。
新品未開封、賞味期限にはまだまだ余裕がある。本当に、誰のものでもないのかなぁ。……まぁ、連絡網で誰も名乗りを上げなかったのは僕も見たし、いいか。
「ちょっとだけ掬って……はい、できあがり」
「ありがとう」
本来はダイニングに移動すべきところだけど、今はふたりきりだし、そのへんにもたれかかるだけ。いつもはみんなで過ごす空間で、さっとつくって、ぱぱっとその場で飲む。誰にも内緒でちょっと悪いことをしてるみたいで、ちょっとどきどきする。真夜中のラーメンとは別ベクトルの罪って感じ。
「はぁ……あったまる……」
立ち上る湯気をものともせず、くちびるを湿らせた楓ちゃんがほうっと息を吐いた。瞳が潤んでるように見えるのは湯気のせいに決まってるのに、直視するのが憚られて、視線を自分のマグカップへと落とす。同じものを食べたり飲んだりするのは毎日のようにやってることなのに、ふたりきり、それも楓ちゃんがつくってくれたものをとなると、どうしたって意識してしまう。こんな時間がもっと増えればいいのに、いつか、おそろいの気持ちになって、幼馴染みという枠ではおさまらないふたりきりの時間をつくれたらいいのにって、思っちゃうんだ。おかげで、マグカップを持つ指先までもが熱くなってきた。
「……熱くない?」
楓ちゃんが声をもらす。
「そりゃあ、できたてのを飲んでるからね」
「飲んであったかくなるのとは別で、こう、やけに手のあたりが……」
言われてみれば、僕もそうだ。マグカップを持ってるからというだけじゃない。指先よりも――
「へっ? え、え、なにこれ! あ、可不可も……?」
――手首が熱いなんて変だなと、自分の手首を見遣ると同時、どこからともなく、銀色の輪っかが浮かび上がってきたんだ。
「…………え?」
「えっと……」
僕たちの利き手同士が、手錠で繋がれてしまった。
「つまり、あのメープルシロップは子タろのものだったってこと?」
こんな現象を起こすといえば、子タろの発明しか心当たりがない。即刻呼び出して事情を……と思ったら、子タろ曰く「張り込み捜査中」らしく、HAMAハウスにはいなかった。利き手が塞がってて文字も打ちづらいから、仕方なく、電話で事情聴取してるってわけ。
メープルシロップは子タろの発明品で、試作段階ということもあって「ヒミツの場所でじっくりコトコト寝かせておいたのに〜」とのことだ。じっくりコトコトって、スープじゃないんだから。
「キッチンの戸棚が秘密の場所なわけないでしょ。事実、主任ちゃんが普通に見つけてるんだし。っていうか、お昼に主任ちゃんがPeChatで訊いたときにどうして名乗りを上げなかったの」
持ち主がわかれば、この子も使おうとはしなかった。誰も名乗りを上げないイコール不要なものだと判断して、賞味期限内だしもったいないから使おうかなってことになったんだ。
僕の質問に、子タろはそんなこともあったかな〜なんて言ってる。彼のひらめきには常々驚かされてるし、おもしろいとも思ってるよ。でも、状況が状況だから、僕も焦っちゃって、質問責めみたいなことをしてる。
「とにかく、これを今すぐ外す方法は? それだけ教えてくれたら子タろは仕事に戻っていいから」
さっきから、主任ちゃんが僕が持つスマホの反対側に耳を寄せてる。ところどころ聞こえづらいみたいで、たまに、ぐいぐい体を寄せてくるんだ。近い、近いってば!
スピーカーにすれば離れてくれるだろうけど、この子に直接聞かせてショックを受けるような発言があったらと思うと、スピーカーにはできない。話の内容が聞こえないくらいでいい。だから、できれば離れてほしい。そう思って体を引いても、楓ちゃんがぴったりとくっついてくる。くっついてくれることそのものは嬉しいけどさぁ、そうじゃないんだよ。
「……え? 三時間はこのまま!?」
「え!?」
楓ちゃんがすぐそばで大きな声を上げる。ほら、この「三時間」も、子タろの声じゃなくて僕の反応で知ったくらいには、スマホの裏側に耳を寄せても聞き取りづらいみたい。
〝他に害わないし、ぐっすりおねんねすればよかろ〟――子タろの言葉が、遠い。返す言葉を探す間もなく「ボクわ捜査中じゃから」と電話が切れた。実験台になる趣味はないけど、いっそ興味をそそられてくれればよかったのに。そうしたら、すぐにでも帰ってきてくれたでしょ。
「ねぇ、子タろくんはなんて?」
「……そのまま過ごせって。三時間経てば自然に消えるらしい」
「そっかぁ。でも、原因がわかって安心したよ」
いや、全然安心できないんですけど!? ――そう思ったのが顔に出たのか、楓ちゃんは僕を宥めるように顔を覗き込んできた。
「子タろくんの発明品に関しては琉衣くんとか凪くん見てたら慣れたっていうか……。繋がれてる以外のことは起きないんでしょ? 時間が経てば消えるんなら、ここでうだうだ言ってもしょうがないし、寝ちゃおうよ。この時間からあと三時間も起きてるの、つらいでしょ」
俺の部屋で寝たほうがいいよねなんて、屈託のない笑顔で訊いてくる。僕からすれば、正気を疑う質問だ。
「楓ちゃんの部屋で?」
今、僕たちの手首は手錠で繋がれてる。この状態で寝るって、つまりは、そういうことだよね。三時間起きてるほうがましな気がするんだけど。
「寅部屋だと他のふたりに心配かけちゃうと思う。それに、可不可を床で寝かせるわけにはいかないよ」
眩しい。真面目と優しさと思いやりと気遣いを全部ひっくるめたものが前面に押し出されてる。下心のしの字もない眩しさだ。楓ちゃんのいいところであり、僕が焦れてしまうところでもある。
「いやじゃないの? その、こういう状況だから、添い寝みたいになると思うんだけど」
眩しさと、意識されてないのがまるわかりなのがつらいのとで、顔を見られない。
「いやなわけないよ。ほら、行こう。……あ、これって意外と歩きにくいかも」
楓ちゃんが一歩踏み出したタイミングで僕の手首まで引っ張られ、たたらを踏んだ。歩幅を合わせないと、歩きながら何度も腕がぶつかったり、相手の足に躓いたりしかねない。手っ取り早く解決する方法はあるけど、言っていいのかな。また「子どもじゃないんだから」って笑われないかな。子ども扱いされないのはいいことだけど、僕相手に〝大人でも手は繋ぐ〟って考えに至ってくれてないってことでもあるから、ちょっと言い出しづらい。
せっかくふたりきりなんだからこういうときにこそ攻めなきゃと思うのに、楓ちゃんに拒絶されたらという想像ばかりが先行してしまう。好きな子とひと晩じゅうふたりきりで過ごすというアクシデントが、僕から冷静さと余裕を奪ってるんだ。
いつまでも歩き出さない僕を不思議に思ったらしく、楓ちゃんがこちらに向き直った。
「可不可、眠くなっちゃった? 部屋まですぐだからね」
子どもじゃないんだけどと言おうとして、はっとする。
「楓ちゃん、手……」
「ん? あぁ、ごめんね、いきなり繋いで。でも、こうすれば転ばないから」
「いい、けど」
キミはいいの? ……いいんだろうな。非常事態だから。こっちはいきなり手を繋がれて、手汗が出たらどうしようとか、握り返してもいいのかなとか、ぐるぐる考えちゃうんだけど。
リビングに出て階段をのぼる。いつの間にか深夜一時前になってて、そりゃあこんなにばたばたしてても誰も出てこないわけだと思い至った。
「……なんだか、どきどきするね」
「えっ」
それって、僕と手を繋いでるから? 僕がどきどきしてるの、伝わっちゃった? もしかして、キミも僕と手を繋ぐことに、本当は緊張してくれてるの? ――期待を込めて楓ちゃんに視線で尋ねる。
「みんなを起こさないように静か〜に歩くの、忍者みたいじゃない?」
楓ちゃんがおどけた動作で、つま先からそうっと床に足をつけてみせた。なぁんだ、そっちか。
「……忍者の才能なさそう」
「あ、ひどい。って、ちょっと可不可」
僕ばっかり緊張してるのがばかみたいだ。ひとりで忍者気分になってるのがむかついてきたから、大きく一歩踏み出し、楓ちゃんの手を引いてずんずんと前を歩く。普段、楓ちゃんの部屋を訪ねたいときは必死で理由をつくってるんだよ? でも、この子は僕の気持ちなんて知りもしないからこそ、平気な顔で一緒に寝ようなんて言えちゃうんだ。百分の一、ううん、千分の一でもいいから、僕にどきどきしてくれたっていいのに。本当に悔しい。先に好きになったほうが負けって言葉は真理だと思う。
さすがに部屋の主を差し置いてなかに入るわけにはいかないから、ドアの前でだけ、楓ちゃんに譲った。
「もう、いきなりどうしたの。なにか怒ってる?」
「別に。寝るなら寝るで早くって思っただけ」
怒ってるよ。僕を意識してくれないことにも、こんなに大好きなのに、楓ちゃんを驚かせたくなくて想いを伝えられない自分にも。
「確かに、もう一時だもんね」
楓ちゃんに手を引かれて、ベッドへと向かう。きちんと想いを伝えて、受け入れてもらえたら、その先のいつかにと夢想したことはあれど、こんなことで過ごすつもりはなかったのにな。
「可不可は壁際に寝てね」
「いいよ、楓ちゃんがそっちに詰めて」
ベッドの手前でお互いに体を押し合う。これじゃあ、いつまで経っても寝られない。
「なに言ってるの。ここでは可不可がゲストなんだから、より安全なほうがいいに決まってる。上座みたいなものだよ」
「それこそなに言ってるの。ベッドに上座も下座もないから。部屋の主を差し置いて我がもの顔で寝られるはずないでしょ」
楓ちゃんは、万が一にも僕をベッドから落っことさないように言ってくれてるんだよね。でも、僕もそれは同じ気持ち。
「〜〜っ、もう!」
「うわっ」
いきなり体が浮いたかと思うと、次の瞬間、背中からベッドにダイブしてた。なになに、なんなの!?
さらに一拍置いて、楓ちゃんが体当たりしてきたのだと理解した。手錠で繋がれてるから、楓ちゃんも一緒になってひっくり返ってる、っていうか乗っかられてるんだけどね。
「わ、ごめん、重いよね?」
「いや、いいけど」
楓ちゃんが慌てて飛び退いて、繋がれた手錠が軽く引っ張られた。また、楓ちゃんが謝る。
「あはは……繋がれてるの意識してないと、可不可のこと引っ張っちゃうね」
「いいってば、これくらい」
あまりにも申し訳なさそうにするものだから、じゃあ仕返ししようかなと、僕からも軽く手を引っ張った。
「こっちの手が繋がれてるんだし、可不可が壁際に寝なよ」
手が繋がれてるほうの腕を下にして横向きになったほうが寝転びやすいと思うよ。――楓ちゃんにそう言われては、反論できない。だって、楓ちゃんがそのほうが寝やすいと思ったから僕に提案してくれたんだろうし。
「そういえば、こうして一緒に寝るのは久しぶりだよね」
あのときは寝落ちしちゃったからだけどなんて笑ってる。
「そうだね。楓ちゃんの大学入学祝いのとき以来だ」
楓ちゃんが大学に入学してすぐの頃、僕の一時退院のタイミングに合わせて、家に招待した。ぜひ泊まっていってよとどきどきしながらお願いしたら、楓ちゃんはすんなりと頷いてくれて……もちろん、客室は用意してたよ。でも、話題が尽きず、ふたりして、僕の部屋で寝落ちしちゃったんだ。翌朝、目を覚ましたら大好きな子の寝顔が目の前にあって、この子とずっとこんなふうに過ごせたらいいのになと思った。
「懐かしいな。……こんなこと言うの変かもしれないけど、俺は、この状況、ちょっと楽しんでるんだ」
「どうして?」
楽しんでるのは薄々気付いてたけど、困惑を上回った理由が知りたい。おそろいの気持ちには程遠くても、僕と過ごすなかでなにを考え、どう感じたかは、あますことなく教えてほしいんだ。
「こうでもしないと可不可と夜通しおしゃべりなんてできないでしょ? HAMAツアーズに入って、ここでの暮らしが始まって……ほとんどずっと一緒にいられる状態なのに、可不可は誰よりもたくさん仕事してるし、夜は体力づくりやおもてなしライブのレッスンで忙しいから、言うほど一緒にいるわけじゃないんだよね」
「夜通しって……寝るんじゃなかったの」
「寝るよ。でも、今すぐはちょっと、もったいないかなぁって」
びっくりした。特大レベルの告白かと思った。楓ちゃんだからそんなことないってわかってるけど、期待しそうになった。
だって、今のって、僕と一緒にいる時間が少なくてさみしいって言ってるようなものでしょ。……いや、わかってる。わかってるよ、仲のいい友だちとなかなか遊べないと、なんだかつまらない気分になるのと同じだよね。わかってる、けど、こんな至近距離で言われたら、ちょっとくらい望みがあるんじゃないかと浮かれてしまう。
「……さっき、寝るなら寝るで早くって言ったの、気にしてる?」
「あはは、そんなことないよ。実際に遅い時間だし、可不可の睡眠時間が減るのはいやだからね。でも、すぐには眠れそうにないから、昔みたいに寝落ちするまでおしゃべりできたら楽しいだろうなぁって、ちょっと思ってた。本当の本当にちょっとだけだよ」
深夜一時台、確かに、いつもなら寝支度を済ませてる頃合いだ。こんなことでもなければ、とっくに眠気を感じてる。
「まだしばらく眠れそうにないのはわかるよ。こんなトラブルに見舞われるなんて、思ってもみなかったしね」
しばらくどころか、僕は三時間後まで起きてるかもしれない。だって、ずっとどきどきしてる。こんな状態で眠れるわけない。
「可不可も? じゃあ、仕事に響かない程度に、もうちょっとだけこうしていようよ」
「……そうだね」
お互いの手首が繋がれてるせいだと心のなかで言い訳して、楓ちゃんの指先に視線を落とす。こんなトラブルがなくても、簡単に触れられるようになりたい。幼馴染みじゃしないような繋ぎ方に憧れてる。
もっと気楽な恋心だったら、このシチュエーションに乗じて、攻めてみることもできたんだろうか。
本当は、大好きだって言いたい。子どもの頃から、毎日毎日、ずーっと大好き。キミを想わなかった日がない。僕の恋人になって、ずっと一緒にいて、将来は家族になりたいんだ。ふたりでいろんなところを旅しよう。憧れだって言ってる世界一周旅行もしようよ。一生をかけてどんなものからも守るし、毎日幸せにしてあげる。それくらいの力はあるつもりだよ。――なんて言えば、この子はびっくりするよね。僕にどう答えるべきか悩んで悩んで悩み抜いた結果、もしかしたら、僕を傷つけまいと、一緒にいるよと言ってくれるかもしれない。子どもの頃に一生一緒に遊ぼうって約束したからねなんて笑って、僕に合わせようとするんじゃないか。
楓ちゃんへの恋心は募る一方だけど、僕に合わせて自分の気持ちを無理矢理決めることだけはさせたくないんだ。だから、今はまだ言えない。
「可不可、やっぱりちょっと眠いんじゃない?」
「まさか。普段でも、この時間ならまだもうちょっと起きてるくらいだよ」
「あ、最近も遅くまで起きてるんだ。だめだよ、夜更かししちゃ」
「してないよ。ベッドに入って、目を閉じて、その日あったことを頭のなかで振り返ってるだけ」
じゅうぶん過ぎるくらい夜更かしなんだけどと、楓ちゃんがくちびるをむっと尖らせる。
キミは知らないでしょ。今日も無事に一日を終えられたことへの感謝と安堵で、すぐには眠れないってこと。手術が成功したからって、この癖はそう簡単には直らないんだ。言えば心配をかけるのがわかるから内緒にしてる。僕が気持ちを打ち明けられる日がきたとしても、これだけは一生言えないんじゃないかな。
そこまで考えて、僕はこの子に内緒にしてるものが多過ぎるなと、心のなかでだけ呆れ笑いをこぼした。好きだと、愛してると知ってほしい、矛盾してる。
「楓ちゃんこそ、持って帰った仕事で遅くまで起きてるでしょ。わかってるんだからね」
「……ばれてた?」
「そりゃあ、社員の仕事の進捗は把握してるに決まってるよ」
この子なら、持ち帰らずとも、終わらせようと思えば終えられる。それじゃ納得できないからと、あれこれ模索したくて持ち帰ってるみたい。僕と同じでこの街が好きだから、子どもの頃ふたりで見た景色……ううん、それ以上のものでこの街をきらめかせたいんだよね。HAMAに対する気持ちがおそろいなだけで、僕は毎日立っていられる。なんて言ったら、大袈裟だと言われそうだ。
「そろそろ春以降のツアーを考える時期だから、アイデアが止まらなくて」
「へぇ、たとえばどんな?」
よくぞ聞いてくれましたといわんばかりに教えてくれたのは、イースターイベントをやってみたらどうかというものだった。特定の宗教における復活祭が由来ではあるけど、今のJPNでは春の訪れを祝う意味合いのほうが強い。
「地元の子どもたちに向けたイベントならあちこちでやってるけど、大人も子どもも分け隔てなく楽しめるものがいいんだ」
「いいね、次のミーティングで取り上げよう」
楓ちゃんは頬を紅潮させて「やった!」と喜んでる。
そこからは、子どもの頃に海外で見たイースターパレードの話をしてくれた。当時も病院で聞かせてもらった話だったけど、あの頃に聞くのとは違って、今は「HAMAでもやってみたいな」という気持ちになる。いつか見てみたいなだけじゃない、自分たちでもやってみたい。もちろん、楓ちゃんが子どもの頃に見た景色を一緒に見られる未来も諦めるつもりはないよ。
「こんなにおしゃべりしてたら、どんどん夜更かしになっちゃうね」
「いいよ。こういう時間がほしかったんでしょ」
「うん。でも、まだ全部話せてないのに」
目を瞬かせて、眠気を追い払おうとしてる。子どもの頃も、病室でたくさん話したあとにはあくびを噛み殺してたよね。しゃべり疲れるくらい、僕のためにたくさん話してくれるのが嬉しかった。あのときから変わらないなぁ。
「眠いんなら無理しないで寝なよ」
「まだ明かしてないとっておきのアイデアが」
「ミーティングで聞かせてくれればいいから」
「でも、可不可には先に」
僕に一番に教えてくれるのは、どうして? 社長だから? それとも、……なんてね。何年経っても、楓ちゃんの言葉の端を拾っては、一喜一憂する。われながら、沼に溺れ過ぎだと思う。泳ぎが得意じゃないから、なによりも先に苦しさを感じるんだろうな。
楓ちゃんの瞼が閉じては開こうと抗ってる。この表情を、毎日でも眺められるような関係になりたい。
「……」
気付かれないように唾を飲み込んだ。これくらいならいい? 幼馴染みだし、いいよね。子どもの頃、楓ちゃんが僕にしてくれたのと同じことをするだけだから、びっくりさせちゃわないよね。いやがられないよね。
恐る恐る、楓ちゃんの髪に指先を伸ばす。
「ん、……ふふ、俺、子どもじゃないのに……」
僕が髪を撫でるのをおとなしく受け入れてくれてる。こっちの心臓はずっとどきどきしっぱなしだ。髪に触れるなんて、酔いに任せて「昔みたいに抱っこしてよ」なんて甘えるとき以上に大胆なことだから。
「……ほとんど寝そうになってるじゃない」
驚いたりいやがったりしないのは、眠いせいかな。これが、僕が触れることで幸せを感じてくれてるおかげだったらいいのに。――髪に触れてもときめいてもらえないことに、少しだけがっかりしてしまう。
「へいき……」
声もほとんど寝てる。そりゃそうか、もう一時半だもの。相変わらず、僕はまだまだ眠れそうにないけど。
「平気じゃなくていいから。ほら、おやすみ」
「んー……」
恋人なら、抱き寄せて、頬や額にキスでもできたんだろうか。そんな憧ればかりが、どんどん増えていく。
いつか、子どもの頃の約束にとらわれることなく楓ちゃんが僕の手を取ってくれる日がきたら、こんな夜をあたりまえのように過ごしたい。手錠で無理矢理繋がれてやむを得ずじゃなくてね。
さて、僕はまだまだ眠れそうにないけど、目を覚ましたときに僕が徹夜したって知ったら心配かけちゃうだろうから、せめて目は閉じておこうかな。大好きな子の寝顔を見続けるのは、いつかの未来にとっておきたい。
◇
「試作品とわいえ、興味深〜い結果じゃったな」
ナリが首を傾げる。カフカフからの電話尋問中、ナリわボクの代わりに犯人のアジトを見張ってくれた。おかげで、今回もサミーわボクにカンシャカンゲキの涙を流すオチになったというわけじゃ。めでたしめでたし、一件落着〜。
「……大黒様からの着信から二時間五十七分三十四秒経過。大黒様とマスターの手錠はそろそろ外れる頃でしょうか」
「じゃな♪」
ほんとわすぐ外す方法がないわけじゃないけども、教えちゃうとつまらんからな。
ん〜、でもな〜――
「夜半様?」
「教えたほうが、もーっとおもしろかったかもしれん!」
――顔を真っ赤っか〜にして騒ぐカフカフなんて超レアじゃろ? ついでに一緒になって大騒ぎするドゥドゥーもおもしろそうじゃし、あ〜、見てみたかった! 捜査中じゃなかったらボクの発明をこと細か〜く説明して見にいってやったのに!
「……誰彼構わず拘束するようであれば、マスターの身の安全のため、自分が回収させていただきます」
「ならん! それに、なんでもかんでもがっちゃんこするわけじゃないぞ」
ボクが発明した『運命×急接近=拘束シロップカッコカリ』わ、一方がビーチェだと思ってるうちわただの甘〜いシロップ。な〜んにも起こらん。しかし、それを互いにビーチェだと認識してる状態で口にしたときこそが、この『運命×急接近=拘束シロップカッコカリ』が効果を発揮するとき! ――かいつまんでナリに説明すると、さっすがものわかりのいい助手、こくっと頷いて「つまり、大黒様とマスターは同種の感情を抱いているということですか」と、ぴしっとした言葉で締め括った。
そのとおり、カフカフたちが真のビーチェ同士だからこそ、がっちゃんこしちゃったってわけじゃ。真のビーチェ同士ならキッスすれば手錠もすぐに外れて一件落着だけども……カフカフもドゥドゥーも奥手なのが玉に瑕じゃな♪